止止呂支比売命神社

止止呂支比売命神社

止止呂支比売命神社概要

名称止止呂支比売命神社/とどろきひめみことじんじゃ
ご祭神素戔嗚尊・稲田姫尊
社格等式内社
旧村社

アクセス情報

住所〒558-0031 大阪府大阪市住吉区沢ノ町1丁目10-4
最寄駅南海高野線「沢ノ町」駅下車、徒歩1分程
駐車場
受付時間午前7時〜午後5時
ウェブサイトhttps://wakamatsujinja.sakura.ne.jp/

止止呂支比売命神社について

創建年代は不明ですが、『延喜式』に記載されていることから、平安時代より古くよりある神社です。元は住吉大社の摂社でした。
止止呂支比売命神社の名前の由来は諸説あり、境内にあった池に架かっていた橋の名前か、あるいは稲田姫を「止止呂支比売」と呼んだ説、または境内に流れる小川のせせらぎの“轟く”音からついたともいわれています。
承久3年(1221年)、討幕軍を起こした後鳥羽上皇が、熊野詣と称して住吉の地に来て、この地の豪族である津守氏や大和河内の兵を集めました。その際、止止呂支比売命神社境内の若い松林の中に御所を建てられ、現在も境内には「後鳥羽天皇行宮址」の石碑が残っています。また、この御所を「若松御所」と呼ばれたことから、止止呂支比売命神社は「若松神社」とも呼ばれています。

行事

年間行事

1月新年の祈祷・どんと祭
2月節分祭・ぜんざい接待
7月夏祭り
10月神輿御行事・秋祭り
11月七五三

見どころ

後鳥羽天皇行宮址石碑

生涯25回もの熊野詣を行った後鳥羽天皇は、熊野詣を称して住吉の地で討幕軍をあげました。この幕府側北条氏との戦いを承久の乱といいます。後鳥羽上皇が兵を集めたのが住吉の地で、当時の住吉大社神主が止止呂支比売命神社境内の松林に御所を建て、上皇をお招きしました。討幕は失敗に終わり、後鳥羽上皇は隠岐へ流されてしまいますが、氏子らは御所のあった場所に「後鳥羽天皇行宮址」と刻んだ石碑を残し、現在も止止呂支比売命神社の名を「若松さん」と親しみをもって呼んでいます。

天水分豊浦命神社

境内にある摂社で、ご祭神は三宝荒神(天水分命、奥津彦命、奥津姫命)、大国主神、事代主神です。

こちらも延喜式内の古社で、社格は式内社となっております。

元は安立町に鎮座されていたのが、明治40年(1907年)に止止呂支比売命神社の境内社として奉斎せられ、明治42年(1909年)に遠里小野ち鎮座されていた農神社と、住吉に鎮座されていた敷津神社を合祀して現在に至ります。

リモート散策・境内

遠方にお住まいの方でも境内をリモートで散策でいる動画を掲載しています。
どうぞご覧ください。【準備中】

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