萬福寺まんぷくじっていう名前のお寺は
全国あちこちにあるみたいですね

京都にある黄檗宗の大本山も萬福寺だし
下寺町にも萬福寺があります

同じ名前でも宗派はそれぞれ

今回ご紹介したい萬福寺は
オサレな町、南堀江にある萬福寺さんです~~

堀江なんてめったに行かないけど
あんなとこにもお寺ってあるんやね

(大阪市西区南堀江1-14-23)

ハイ、これがお寺

・・・いや、わからんわ
ぱっと見でお寺ってわからんわ・・・

堀江公園の南側正面にありまして
わたし何度かこの道通ったことあるけど、
お寺なんて微塵も気づかんかったわ・・・(笑)

この建物が、山門になります
天王寺の一心寺とかもかなり珍しいデザイン的な山門ですが
これはまた・・・山門とはとても気づかないデザインですね(汗)

山門らしからぬ山門をくぐるとすぐ右手に

かき氷のポップとのれん

そう、このお寺
キャッフェがあるんですよ・・・!
(いい方のクセが強い)

《寺カフェ 茶庭》さん

オサレな町にあるものは
お寺さえもオサレ

お寺なのにオサレなシティーガールたちが
優雅にティータイムしてるではありませんか・・・!

平日のお茶タイムに訪れたのですが
なかなかお客さんがいて、店内の写真は撮れませんでしたが

席は屋内の他に

外にもあるんですよ!
お寺の境内でお茶しばけるなんて、なんか不思議!

ただ、少し残念なのが
ただ今70年ぶりに本堂の瓦を葺き替えてる真っ最中らしく
本来なら山門入って左手に本堂が見えるのだと思うのですが
工事中のためネットで隠されていました・・・

そのためちょっと寺感も薄く、解放感も感じにくいのですが
萬福寺さんのホームページやインスタなどを見てみると
とっても素敵な感じなんですよ・・・!

今年の5月に工事がスタートしたそうで
完成がいつになるのかはわからないですが
完成したらまた改めて行ってみなくては!

カフェというだけあって
抹茶と和菓子しかない、なんてことはなく

抹茶ティラミスにチーズケーキにパフェ・・・
お・しゃ・れ♡

わたしは

アイスのほうじ茶ラテと

お菓子7種盛りをいただきました♡(よくばり!)

アイスにもなかに、豆菓子やかりんとうまで
美味しいしかわいいし、こりゃあ女子が集まりますね!!!

さて

オシャレな町にある
オシャレなカフェを併設したお寺
その由来について調べてみましょう

この萬福寺さんは、浄土真宗のお寺になります

浄土真宗と一言にいっても
そこからさらに多くの宗派に分かれているのですが
その中のツートップが
京都の東本願寺を本山とする真宗大谷派と
同じく京都の西本願寺を本山とする本願寺派でしてね

そもそも浄土真宗は平安時代後期に
親鸞しんらんさんが唱え始めた宗派

時は戦国
織田信長が大阪城の場所にあった石山本願寺を攻めたことがきっかけで
本願寺が二分されてしまいました

というのも

浄土真宗を再興した蓮如れんにょさんというお方が
石山本願寺を建てたのですが
これがまーーー落ちない
天下の信長さんが10年以上攻めてなおびくともしなくて

「こりゃもう諦めや・・・」

あまりにも天下統一の足止めをくらいすぎて
天皇を仲介にして和睦しようやないかと持ちかけたのですが

ここで石山本願寺内で意見が割れてしまうのです

「せやね、和睦しとこか」
という穏便派と

「今さら何言うてんねん!とことん戦うんや!」
というカゲキ派

最終的には和睦するに至り
紆余曲折あり信長は討たれ
時は江戸時代に・・・

しかし浄土真宗内のいざこざはひっこみがつかず

「もうやいやい言いなさんなやかましい」

って感じだったのかどうかはわかりませんが
徳川家康さんがカゲキ派の人にも新たな寺地を用意してあげて
東本願寺を別に建てさせ・・・

西と東のできあがり

・・・と、大変脱線してしまいましたが

萬福寺さんは、「お西さん」と呼ばれる本願寺派のお寺になります

創建は400年ちょっと前

代々伝わるところによると
石田三成の一族のとある人が、本願寺第12世准如じゅんにょ上人の弟子になり
(准如さんはまさしく、織田信長と和睦するか問題のときに
 立ち会っていた穏便派のひとり)

法名を正信といい
1600年の関ヶ原の合戦直後
戦いで亡くなった将兵たちの菩提を弔うために
1601年、大坂は島の内、三津寺之庄に
1軒の妨舎を建立したのが始まりといわれています

時が経ち、江戸時代の後期の1780年代
浄土真宗において、史上最大の問題が起きました

三業惑乱さんごうわくらんと呼ばれる、
浄土真宗本願寺派の教義をめぐる論争

少々難しくて長くなるので内容は割愛しますが

もうね、論争どころか
権力争いからの流血惨事からの幕府まで巻き込んで
最終的に本願寺のトップが地方の僧侶に負けるという
事件があったんですよ

ここで、萬福寺の第9世・浄暁というお方が
その解決に功績をあげたそうな

さらに時は経ち、幕末から明治維新にかけては
西本願寺は勤皇派(幕府より天皇を支持する派)だったので
なにかと莫大な軍資金を朝廷方に献上していたそうですが

経済の中心地であった大阪にある萬福寺は
大阪において筆頭寺院として
第11世・廣観というお方がかなり勧進に功績をあげたそうです

しかもこの廣観さんは説教の名人だったとかで
法座の際には門が敗れるほど大勢の門徒らが押し寄せ
全国を行脚すれば行く先々で門徒が集まり
多額の懇志(マネー)が集まったんだそう

そんな有名僧を輩出したお寺ですが
太平洋戦争末期、昭和20年の大阪大空襲で
伽藍は全焼、廃墟と化しました

門信徒もいなくなってしまい
住職もお亡くなりになり
困窮のために寺域の3分の2を失い・・・
もはや存亡の危機に

しかし、当時まだ25歳だった誠二さんというお方が
第16世として住職を継ぎ
大阪大空襲からわずか7年で本堂を再建されました

昭和33年、島之内八幡町にあった萬福寺は
現在の堀江の地に移転し
さらに東生駒に分院を造営するなどグイグイ復興!

大阪における真宗10派の連合組織である
「大阪真宗協和会」の設立にも至りました

・・・すごいやん・・・
すごいお寺やん・・・
いや、各代のご住職方がすごい人なんやて・・・

弘法大師!とか、親鸞聖人!とか
そりゃあもうカリスマ的なお坊さんもいるけれど
どんな危機にあっても寺を継続していける
町のお寺のお坊さんたちだって、すごいよね・・・

そうそう

萬福寺さんは、元は島之内という大阪市は中央区の
四方を長堀川・東横堀川・西横堀川・道頓堀川に
囲まれた地域にあったんですね

1601年に開創され、堀江に移転するまでの約350年
「島之内の萬福寺さん」として
その名は上方落語の中にも登場するほど有名だったそうです

現在はカフェの他にも
様々なイベントも行っているようです
過去には音楽ライブや落語会やアートの展示会などなど

また、寺子屋として音楽教室や書道教室を行ったり
檀家以外の人々も受け入れ「みんなのおてら」と称して活動をされています

もちろんお盆や彼岸の行事や、法事や月参り、供養など
お寺らしいこともされていますし
仏前結婚式も行ってるんですって!

神社での神前結婚式はわりとよく聞きますが
お寺で結婚式って、あんまり聞かないですが
萬福寺では庭園やカフェもあるので、
他の人とは違う、素敵な結婚式ができそう

っていうか、南堀江のお寺で結婚式なんて・・・
もうそれだけでかっこいいやん素敵やん・・・!

ホームページにはもう一つ気になる項目があって

なにやら、お寺が管理するアパートがあるみたいなんです

萬福寺の南側にある4階建てのアパート
築57年の「堀江マンション」

その築年数を聞くとあまり住みたいと思いませんが
2017年にリノベーションされたそうで
まーーーー素敵な内装になってるんですよ!!

古っぽさもありつつ、モダンな感じもありつつ
ぜひぜひホームページをご覧になってみてください!

賃貸なのかどうなのか・・・
そのへんがよくわかりませんが
気になる方は萬福寺さんへ問い合わせてみてください~

以上、オシャレな街のオシャレなカフェがあるオシャレなお寺の
ご紹介でございました♪

様々な時代を抜けてきた萬福寺さん
親鸞聖人の教えを受け継ぎ
しかし時代に合わせた新しいスタイルをあみ出すお寺

本堂の工事が終わったら今度は抹茶ティラミス食べに参りたいと思います♡

2022.6.12 姫松なつき

〈参考文献〉

●萬福寺ホームページ
https://www.horie-manpukuji.com/

●お墓さがし
「浄土真宗はなぜ西と東に分かれている?二派の違いも解説」
https://ohaka-sagashi.net/news/nisihigasi/

●浄土真宗.jp
「三業惑乱」
https://xn--udsw7h21snjj.jp/history/wakuran/

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