応神天皇陵のすぐ隣に、
誉田八幡宮という神社がございます。
名前からもう、
応神さんを祀っているというのが
ゴリゴリに伝わってきますね。
応神さんはまたの名を“誉田天皇”と言います。
“応神”は漢風諡号、“誉田”は和風諡号です。
(諡号、というのは、
亡くなった後に生前の行いに対して贈られる名前)
そして、八幡神は、応神天皇のこと。
(詳しくは百舌鳥八幡宮の紹介記事をお読みください♪)

いまや全国各地にある八幡宮ですが、
この誉田八幡宮が日本最古の八幡宮らしいです。
フォウ!

創建は欽明天皇の頃、559年とされています。
百舌鳥八幡宮も欽明天皇の時代にできたようですし、
欽明さんは応神さん推しだったのかしら。
この地にできたのは、
もちろん応神天皇陵の土地だったのもありますが、
どうやら応神さんが幼少期を過ごした土地でもあるそうです。
・・・ムキムキボーイが駆け回っていたのかな(笑)

誉田八幡宮には南大門があったり、
本殿の屋根が瓦だったり、
形がなんとなくお寺っぽいです。
それもそのはず、
奈良時代には行基さんによって
神宮寺も建てられていたのです。
昔は神仏習合の考えだったから、
神社の中にお寺があったりしたそうなのです
(その逆もあり)。

しかしながら明治時代に、
神仏分離(神道と仏教をちゃんと分けなさいよの令)に
あたって廃仏毀釈(仏教なんてやめちまえ!という風潮)に
巻き込まれ、本堂などは壊されて南大門だけが残ったとのこと。
(日本政府は神社とお寺を分けるだけのつもりだったのが、
暴徒した民衆によって多くの歴史的な仏教施設が
壊されたそうです・・・なんてことだ)

ところで、
この神社でわたしが一番見ものだと思うのは、
放生橋(ほうじょうばし)です。
本殿から応神天皇陵に向かう参道の間に流れる
放生川に架かる石の反り橋なのですが、
その反りっぷりが尋常じゃないのです・・・(笑)

住吉さんの反り橋だってたいがい
ヒィヒィ言いながら恐る恐る上り下りするけど、
こんなん・・・ムリやろ、っていう角度。
おまけに足を引っかける部分がない。
何をトチ狂ってこんな形に造ってしもたんや。

毎年9月15日に行われる秋の例祭では、
神輿を担いだ人たちが、
この橋を渡って応神天皇陵古墳の
外提のすぐ側まで行くんですって。
その昔は後円部の頂上まで行ってたそうなのだけど・・・とか、
そんなんどうでもいい(よくはない)。

この橋を、神輿担いで渡るだと・・・!?

安心してください。

隣にすごく緩やかな橋が架けられていて、
そちらを通って行くそうです。
KY(危険予知)!安全対策!改善改善!

でも、いつの頃までかわからないけど、
この凄まじい反り橋を渡って

古墳の頂上まで行ってた時代もあるんだから・・・

どんな脚力してたんやろ・・・
重力に反しないと無理だと思う・・・

ちなみに、
この橋のすぐ横道入ったところに
幼稚園(保育園かな?)があって、
園児たちのにぎやかな声が聞こえてきます。
厳かな場所だけど、
無邪気な子供の声でにぎやかなのもなんかほのぼのしました。
応神さんに守られて、すくすく元気に、
ムキムキになぁれ☆(←ムキムキじゃなくてもええやろ)

2021.4.27 姫松なつき
参考文献:Wikipedia(誉田八幡宮)
『百舌鳥・古市 古墳群ガイド』(発行者:宗形康)

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