アメ村にはパーリーなピーポーしかいないと思っているんですよ(偏見)

だから、めっっっっったに近寄らないんですが

グーグルマップを見てたら神社を発見したので、場違い感を感じながらもミナミの街へと行ってきました
すれ違う人みんなこわい(偏見)

そして確かにありました


(大阪市中央区西心斎橋2-10-7)

すごいよね
どんなに開発された都会の中でも、いまだにこうして神社ってあるんだもの

さて、アメ村の中にあるこちらの神社、その名も御津宮みつぐう
御津八幡宮みつはちまんぐうとも)

八幡宮、とありますので、ご祭神は

そう

15代・応神おうじん天皇でございます~~~!

***

御津宮は、現在の心斎橋一帯の産土神社

江戸時代の初期の頃からずっと、全国有数の街として発展してきた繁華街
「ミナミ」と呼ばれるこの地を氏地とする御津宮は、さほど大きな神社ではありませんが、参拝者も多くいらっしゃるとのこと(わたしが訪れた時は誰もいなかったけど・・・汗)

創建はというと、これがなかなかどうしてかなり古くて
神社縁起によると、奈良時代・749年のこととされています

孝謙こうけん天皇(聖武天皇の次のお方)の頃
東大寺と大仏を建立するぞ!ってなったときに、九州にある宇佐八幡宮うさはちまんぐう(全国にある八幡宮の総社)から鎮守神として勧請したのが、奈良にある手向山たむけやま八幡宮

九州から奈良なんて、超絶長旅・・・
海を渡って来たようで、宇佐からの神輿がまず大阪に上陸したわけですが

その、上陸して、一時安置された場所というのが、御津八幡宮
というわけです

ただ、始まりについては明確に記した文献などは残っていないそうなので、いろいろ諸説あるようです

例えば、平安時代末~鎌倉時代前半にかけて、約150年間、この地は石清水八幡宮の荘園となっていたことがあるらしく
石清水八幡宮が源氏の氏神として勢力を伸ばしたこの時代に創建されたのではないか、と推定される方もいるそうです

まぁでも、どっちにしてもめっちゃくちゃ古い神社ということはお判りいただけたでしょう・・・

しかし、戦国時代の兵火に諸々焼かれて、真相はまだわかりません
(第二次世界大戦でも本殿・拝殿すべて焼失したため、現在の社殿は昭和35年に再建されました)

ところで、「御津」という名前
これは、神さんが上陸した港という意味で、この辺の地名になっています

アメ村といえばの三角公園も、正式名称は御津公園だし
ちょっと漢字は変わってしまうけど、御堂筋挟んで東側に三津寺みつてらっていうお寺もあります
(このお寺がまた、かなり歴史あるお寺なので参ってみたいのですが、来年の4月まで改築工事を行ってるようなので、せっかくなのでそれが完成してから参ってみます★)

では、いざ参らん!

 

がやがやとうるさかったのが噓のように静かな境内

正面に見える水色の可愛らしい感じの建物が本殿です

 

こじんまりとしてなんとなくかわいい
武運の神が祀られてるような雰囲気ではありませんね(笑)

ご祭神は応神天皇の他に、応神さんのパパ君である仲哀ちゅうあい天皇と、比咩大神ひめおおかみが祀られています

比咩大神というのは特定の神さんの名前ではなく、主祭神の奥さんや娘さん、その他関係の深い女神を指すもの
というわけで、御津宮では応神さんのママンである神功皇后を意味しています◎

本殿横にある立派な木は桜

氏子さんが奉納されたソメイヨシノが4本あって

これとかめちゃくちゃおっきい・・・!
これ、春に来たら圧巻だろうなぁ・・・!
一年中、四季なんて関係ねぇ!って雰囲気のアメ村にも(偏見)、御津宮からの桜吹雪が起きるのかしら~~

鳥居のすぐ脇に、末社がひとつ、石宮竜王いしのみやりゅうおう

ご祭神は倉稲魂命うかのみたまのみこと
っていうとお稲荷さんで有名な神さんですが、よくあるお稲荷さんのように鳥居がいっぱいあるわけでも、キツネがいるわけでもなく
龍や水を祀る場所に多い三つ鱗紋の神紋があります

なんか、ささやかな末社ながら、「すごいパワースポットだ」と発信してらっしゃる人もいるようですね・・・
わたしには・・・ちょっとよくわかりませんが(汗)

時代の最先端をゆくアメ村の中にある、ミナミの八幡さん
たまにはぜひ足を止めて、ゆるりと長い歴史を感じてみてくださいませ~~◎

2022.11.6 姫松なつき

<参考文献>
御津宮ホームページ

●神社と古事記
御津宮

●いにしえの都
御津八幡宮|難波アメ村|繁華街のど真ん中にある神域で不思議な祠を発見した!

 

 

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る