仲姫命陵古墳 ~仁徳ママが眠る古墳~
どうも、どうもどうも、古墳大好き埴輪なつきでございます♡
一口に古墳好きと言っても、いくつかタイプがあるんですよ
そのフォルムにときめくタイプとか
古い建造物に萌えるタイプとか
単純に歴史にロマンを感じるタイプとか
そしてわたしのような、葬られた人物へ思いを馳せるタイプとか・・・ね
そう
そこに誰が眠っていて、その人物はどんな人だったのか
それを調べることが、ヨダレ出るくらい楽しい・・・(じゅるり)
なので、誰が眠ってるかわからない謎めく古墳もそれはそれで良きではあるのですが
できればどなたの墳墓かわかる方がワクワクする
(〇〇の古墳とされてるけど実際は違うと考えられている・・・とかいうパターンも多々ありますが、そういうのはいったん置いといて、一般論で楽しみます。裏話も楽しいけどね)
中でもやっぱり、天皇陵ってのが一番コーフンします(じゅるり)
さあ
久しぶりにいきますよ
本日は、わたしの大好きな天皇ファミリーの一人が眠る古墳
仲姫命陵古墳を紹介したいと思いまーす!!!!!
***
今回、満を持してようやく参ることができた、仲姫命陵古墳
仲姫命とは誰か。
フッフッフッフッフ
日本一の大きさを誇る古墳に眠りし16代・仁徳天皇の
ママンでいらっしゃいます!!!!!
つまり、15代・応神天皇のワイフ!
古市古墳群の中では、応神天皇陵古墳に次ぐビッグサイズな前方後円墳
その長さは290メートルで、全国では9番目の大きさ!
さすが仁徳ママという貫禄ですね★
(そしてもちろん、世界遺産!)
築造年は4世紀後半
ちょっと前までは5世紀前半頃じゃないかといわれていたそうですが、堤の上に並べられていた円筒埴輪の特徴から、4世紀後半ちゃうか?となったそう
・・・先に亡くなった旦那(応神天皇)の古墳は5世紀前半の築造
それよりも前にヨメの古墳ができてるのはおかしいんちゃう・・・?
ならこれは、応神さんの父上である仲哀天皇の古墳なんじゃね・・・?
などと考えられたりもしているそうですが
ンンッ
ここでは仲姫命に思いを馳せることにいたしましょう、ネ
(宮内庁が「ここは仲姫命の墓ッ」と言ったら、もはや誰も調査などできないのです★)
応神天皇の奥さんである仲姫命ですが、仲姫命自身も元々天皇家の一族のひとり
仲姫命のひいおじいさんが、12代・景行天皇なのです
応神さんは、仲姫命と同じ両親をもつ二人の姉妹(高城入姫命と弟姫命)も奥さんにしちゃってます
3姉妹まるごと奥さん・・・すごい甲斐性・・・
ただそこには、愛や甲斐性という前に、昔の人の血縁を重んじるナニといいますか
仲姫命のお父さんである品陀真若王が景行天皇の男系の孫だから、という理由があるんちゃうかと
(直系と傍系のね・・・そういうのが、後の世にも多々ある)
応神さんのママである神功皇后ってさ
神のお告げを無視して死んじゃった旦那の仲哀天皇に代わって
神の加護の元、おなかに応神さん抱えた身重の状態で三韓征伐したスーパーマザーじゃないですか
そんで、帰国して無事出産したと思ったら今度は、
「応神に皇位とられる前に殺さなきゃ!」って考えた仲哀さんの別の嫁の息子・忍熊王に命狙われて戦って、やっつけて、無事応神さんを天皇にしたパワフルマザーなんだけど
忍熊王って、けして妾腹の子とかってわけじゃないのよ
忍熊王のお母さんは、景行天皇の孫なので、忍熊王だって十分皇位につく資格はあったはずなのよ
応神ベビーを殺してでも皇位を死守しようって考えはよろしくないにしても
サクッとやっつけて応神さんを天皇にしちゃったのは
なにかドロドロしたものが渦巻いてそうですねぇぇ(じゅるり)
(ちなみに、神功皇后は9代・開化天皇のひいひいひい孫。一応天皇家の血は引いてるけど、景行天皇の孫よりは薄い・・・)
そんなこんなで、応神さんは景行天皇系統の一族である3姉妹をまるっと妻にすることで、皇位継承の正統性をアピールする狙いがあったのかなぁ・・・なんて
真相はわからないけどね
と
血縁ポジション的には重要な仲姫命ですが
神功皇后のようにバッチバチに何かキメてみたとか、そんな武勇伝や逸話は特にございません
なので、ごくごく普通の女性だったのではないかと思われますが、それなのにこんなに大きい前方後円墳を築かせた理由
それはもう、
\仁徳さんのママンだから!!/
やっぱ当時、仁徳さんってすごい天皇だったのよ
その母上ともなれば、「仁徳天皇を生んだ母堂」というモニュメントとして巨大な墳墓が築かれたとしてもおかしくはない、というわけです
(「仁徳さんのおかあさ~~ん!」って心の中で叫んでお参りしました♡)
拝所は住宅地のスキマにあるので、パッと見だとそんな巨大墳墓には見えないのですが
仲姫命陵古墳は周囲をほぼ一周ぐるっと歩けるので、歩いてみるとその大きさを体感できます
/ながーーーーーーーーーい\
仲姫命陵古墳は、周濠には水が溜まっておらず、空壕状態のことがほとんど
これは、ここが国府台地の最も高いところに位置するからとされています
周囲の地形との関係で、もともと多くの水を溜めることはできない場所なのだとか
そんな仲姫命陵古墳には、陪冢(宝物などを納める付属の古墳)もいくつかあるのですが、ちょっとまだ全部は回り切れていないので・・・
でも、これだけご紹介したい
近鉄土師ノ里駅から徒歩1墳・・・1分のところにある、鍋塚古墳!
仲姫命陵古墳の陪冢と考えられていますが、宮内庁の管理下にはなっていないので、なんと!登れる仕様になっています!!
木もないから、ちょっとした丘に見えますが、ちゃんと古墳
宮内庁管理下ではないけど、これも世界遺産
世界遺産よ、世界遺産に登れるのよ!?!?!?
こ、コーフンするぅ・・・♡
古墳の頂上から仲姫命陵古墳を望み・・・
反対側を見ると、マンションで半分隠れてるけど允恭天皇陵古墳も見えます♡
鍋塚古墳は高さ7メートル、長さ63メートルの方墳です
まぁるく見えるけど四角
墳丘からは円筒埴輪などが出土し、葺石で覆われていたことがわかっています
周濠があったという説もあったりなかったり
仁徳天皇のお母上・仲姫命の陵墓と、その陪冢・鍋塚古墳
ぜひぜひともに訪れてみてくださいネ♪
2022.10.23 埴輪なつき
〈参考文献〉
●南河内に何がある?
「仲姫命陵(中津山古墳)|藤井寺市最大の古墳は、応神天皇の奥さんの陵?~百舌鳥古市古墳群~」
●藤井寺南小学校
「中津山古墳」
●ちょっと気になる!~大阪発史跡旅~
「仲姫命陵(藤井寺市)・応神天皇皇后の陵とされる全国第9位の規模を誇る前方後円墳」
●『百舌鳥・古市古墳群ガイド』(発行者:宗形康)
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