古市駅の駅前、線路の東側には古市駅東広場があって、そこには羽曳野観光案内所がございます

その裏に神社があるのですよ

(右端の建物が観光案内所)

広場の奥、階段を上った先の、木がもりっとしているところね

観光案内所の右側に参道がありまして、登っていくと見えてまいります

こちら、白鳥しらとり神社でございます~~


(羽曳野市古市1-1-18)

なかなか立派な神社なのですが、神主さんは常駐していらっしゃらず、祭事のときのみどこからともなくいらっしゃるようです
(どこの神社から来るのかわからず・・・汗)

古市で、白鳥っていったらね、もうね
スワンじゃないのよ
タケルよ、タケル!

西から東、日本中を討伐していた日本武尊やまとたけるのみことは、東から大和への帰還中に病で倒れてしまうのですが
現在の三重県で亡くなるも、なんとか大和へ帰りたいという気持ちから、ヤマトタケルは白鳥の姿になって、奈良へ、そして古市へとやってきて、そこで羽を休めたそうで

白鳥が訪れたところに古墳を造り、白鳥陵しらとりりょう古墳と呼ぶようになった、と
(詳しくは「白鳥陵古墳~日本武尊は白鳥になった~」をお読みください♪)

つまり、ヤマトタケル=白鳥

なので、古市駅前の白鳥神社も、ご祭神はタケル(日本武尊)です♡

ただ、創建年代は不明

ず~~~っとここにあったのかというと、そういうわけでもない

このあたりは南北朝時代や戦国時代にドンパチありまくった場所なので、その渦中でなくなった寺社もあれば、所在があやふやになった寺社も多数あるんですね

白鳥神社は、社伝によると
元は軽里かるさと村の伊岐谷いきだにと呼ばれる地に鎮座していて、「伊岐宮いきのみや」と呼ばれていたとのこと
一説には、白鳥陵古墳のてっぺんにあったともいわれていますが、それは定かではありません

ともかく、昔存在した伊岐宮ですが、幾多の戦火に遭って焼失
その後は同じ軽里にある、峯ヶ塚みねがづか古墳に小さな祠を建てて細々と祀られていたのですが
1596年に起きた慶長の地震で倒壊した後、長らく放置されることになりました

寛永年間(1624~1643年)の末期に、現在の場所に移築して白鳥神社と改称
1904年に、白鳥神社より南にある高屋神社を合祀することになり、ご祭神に饒速日命にぎはやひのみこと広国押建金日命ひろくにおしたけかなひのみこと安閑あんかん天皇のこと)が加わりました
(この神社は、後に旧社地に再建されましたが、白鳥神社にもそのまま祀られています)

また、江戸時代の『河内名所図会かわちめいしょずえ』には、「相殿牛頭天王ごずてんのう 婆利賽女はりさいにょを併祭る」とあります

婆利賽女というのは牛頭天王の奥さんとされる神さん

ただ、明治以降色々あって牛頭天王は素戔嗚尊すさのおのみこととして祀られることになったので、 婆利賽女も素戔嗚尊の奥さん・稲田姫命いなだひめのみこととして祀られています

そして、白鳥神社はこの地の産土神として祀られていたようです

(拝殿には、「伊岐宮」と書かれた扁額があり)

わたしが参ったのは7月の暑い時期だったのですが、ここの拝殿がものすごく涼しかった・・・

本殿の裏に木が生い茂っていて木陰になってるので、涼しい風が吹き抜けるんですよ~~
立派な神社なのに人気がなく、ここだけ外と違う空気が流れていて、なんだか神秘的な空間でした◎

そうそう
白鳥神社は小高く盛り上がったところにあるし、木がもりっとしてるし、古墳の上にあるんじゃない?とも考えられています
実際に埴輪もいくつか発見されたそうですが、古墳の遺構は見つかっていないので、古墳ではないともいわれています
どっちなんでしょうね~~~

本殿横には白長大明神の末社があり
本殿と白長大明神の間にもうひとつ鳥居が見えますが、

これは何を祀ってるのか不明
(虫が怖くて近づけない★←)

普段は人気があまりありませんが
7月には夏祭りが、10月の秋祭りにはだんじりもやってきてにぎやかになるそうです
(行事の際にはご朱印も頂けるそう)

古市駅からすぐ
そして白鳥陵古墳からも近いので、古市へお越しの際はぜひ白鳥神社もお参りください♪

2022.10.9 姫松なつき

〈参考文献〉
●ちょっと気になる!~大阪発史跡旅~
白鳥神社(羽曳野市)・伊岐宮とも呼ばれた日本武尊を祀る神社
●神社巡遊録
白鳥神社(大阪府羽曳野市古市)
●南河内に何がある?
白鳥神社|なかなか落ち着けなかった古市の氏神様【ご朱印】~羽曳野市~

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