大阪市と堺市の間に流れる大和川

昔は今みたいな形じゃなくて、奈良の方からもっとウネウネしたり枝分かれしたり、ちょっと大雨降るとすぐ氾濫しては農作物がやられて、もーぅやってられん!ってなって
江戸時代に付け替え工事がなされたんですよね

で、流れを変えたことで河口に砂が溜まって新しく土地ができると、そこで新田開発なんぞが行われ、上手いこと農作物が育ちますように!って祈るために神さんをあちこちから勧請して神社が建てられたので、大和川沿いには似たような規模の神社が多いんです

大阪市の住之江側には、高砂たかさご神社と高崎たかさき神社が
堺市側には月洲つきす神社と田守たもり神社が、いずれも新田開発がきっかけで建てられた神社なのですが

もうひとつ、月洲神社のほど近くに、高須たかす神社という神社がありましてね

(堺市堺区北半町東3−5)

なんかもう、名前的にも場所的にもサイズ感的にも、絶対ここも同じ由来の神社やん~と思ってたんですよ

違 い ま し た(ぇ

チン電の駅名にもなっている高須神社
駅の目の前が神社

ここは、新田開発とはまったく関係なく

大坂冬の陣の後、元和元年(1615年)に鉄砲鍛冶の芝辻理右衛門しばつじりえもんが徳川家康から高須の地(この神社があるあたりの土地)を授けられたことに始まります

堺は鉄砲鍛冶で有名なんですが、ご存じかしら

16世紀に種子島に鉄砲が伝来してさ
そこから数年後に堺にも鉄砲がめっちゃ広まったんだけど、これには2つのルートがあって

ひとつは、堺の商人が種子島行って鉄砲の製法技術を持ち帰ったの

そしてもうひとつが、とある紀州の領主さんが種子島行って鉄砲を1つ持って帰ってきて
刀鍛冶の芝辻清右衛門しばつじせいえもんさんに、

「これ複製して!!」

って言って、見事紀州第一号の鉄砲が誕生しまして
(すごいよねぇ・・・初めて見るモノ複製しろなんて無茶ぶりされても、作っちゃうんだもんねぇ)

後に清右衛門さんが堺に移住して、堺で鉄砲が広まったんですね

さて、時は戦国

わたし戦国時代はとんと疎くてあんまり詳しくないのですけども

徳川の家康さんは、難攻不落で有名な大阪城を落とすために、大砲を使ったんですってね

そりゃぁ火縄銃より恐ろしいでしょうよ
ドォーーーンと凄まじい威力で城壁を打ち崩し、中にいる人たちを倒し、桁違いのおっそろしい破壊音で敵の戦意を失わすのがエエんやと考えたのだとか
(なにが「鳴くまで待とうホトトギス」や・・・瞬殺しようとしてるやないか・・・)

当時、イギリス製のカルバリン砲なるものがあって
射程距離が2キロもある強い大砲だったらしく、家康さんも輸入して使ってたんですって

でも、家康さんは芝辻家にも大砲を作ってもらっていました

そりゃあ国産の方が安いからやろ、と思ったらどっこい
芝辻さんのメイドイン堺の方がかなりお高くて、なおかつ砲弾の重さもカルバリン砲より軽くて(つまり威力が弱い)、一見コスパ悪いんですよ

それでも、家康さんは芝辻砲を使ったのには
国産がスキ♡とかじゃない理由があって

カルバリン砲は2キロも飛ぶといいつつ
確実に命中させられる距離は500メートル程だったのに対して
芝辻さんが作る大砲だと、600メートル先を命中させられたんですって

たかが100メートル、されど100メートル

600メートル先を確実に当てられたら何ができるかというと

家康さんが陣取っていた場所から大阪城までちょうど500メートルくらいだったんですね
カルバリン砲で大阪城狙ったら、当たるかどうかギリギリのところ

それが、芝辻砲を使えば、天守閣にほぼ確実にドーンといけるというわけ

えぇ・・・こわぁ・・・

実際のところ、天守閣ではないものの、大阪城の本丸に命中して、淀殿(豊臣秀吉の奥さん)の侍女8人が即死したそうで、恐ろしくなった淀殿が家康さんの和睦の提案に同意したのだとか
(この、本丸に命中したのが芝辻砲の砲弾であるという証拠はありませんが、ピンポイントで狙っていたことから、芝辻砲である可能性は高いと考えられています)

ところで、カルバリン砲と芝辻砲を比べてみても、大砲の威力としては圧倒的に当時の日本は劣っていたのですが
火縄銃の精度は世界ナンバーワンだったそう

芝辻砲も、大砲というよりはでっかい火縄銃っていうイメージだったのかもしれません

ハイ

そんでさ、大坂冬の陣では1000門もの鉄砲を急いで作れという家康さんからの命令に応えた理右衛門さんは、その功労によって土地をもらうことができまして

芝辻家として、自らと堺の鉄砲鍛冶の繁栄を願って、ここに稲荷明神を勧請して建てた神社が、高須神社というわけでありました

線路を渡って、南側にある鳥居

一礼して境内へ・・・

ほ、本殿・・・?え、家・・・?

なかなか今まで見たことないスタイルの神社です
南向きの日当たりのよいベランダのある神社・・・

建物の北東部分に拝所がありました
そして、ガラス窓の奥に本殿があります

南側には玄関ドアのようなものもありますし、1階が神社で2階に神主さんが暮らしてらっしゃるんでしょうかね・・・?

高須神社では、稲荷明神である豊受大神とようけのおおかの他に、猿田彦命さるたひこのみこと大宮姫命おおみやのめのみこと(よくお稲荷さんでは主祭神の豊受大神とともに祀られる女神)・大物主命おおものぬしのみことが祀られています

建物の1階北側には8つの境内社もあり

  /ズラリ\

お供え物のカール・・・袋開いて中身飛び出してる・・・!
誰やつまんだやつ!と思ったら、近くにカラスがいました・・・ヒェ

ちなみに、ここに祀られる神さんズとそれぞれのご神徳はこちら↓

高須神社境内には、特に鉄砲鍛冶で栄えた気配も、芝辻さんの栄光も感じられませんでしたが・・・

高須神社駅から南海本線七道駅周辺は、鉄砲鍛冶屋敷や鉄砲鍛冶射的場跡などなどありますので、戦国時代がお好きな方はぜひ堺へ~~!

堺は古墳だけじゃないのですよ★

2022.11.13 姫松なつき

〈参考文献〉
●ちょっと気になる!~大阪発史跡旅~
高須神社(堺市堺区)・駅名にもなった鉄砲鍛冶ゆかりの稲荷社
●発祥の地コレクション
堺 砲術発祥之地
●mutsu-satoshi.com
堺探偵クラブ「七道まち歩きマップ」イラストと解説文
●はじめての三国志
徳川家康はカルバリン砲よりスゴイ大砲を造らせていた

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