法善寺横丁って、
大昔に一度通り抜けたことがあるくらいで、
ミナミに行ってもだいたいメインストリートである
御堂筋を歩くから、
なんとなくわたしにとっては
印象の薄い場所でした。

なんかちょっと渋い感じのお店が
路地にぎゅっと詰まってる、
その程度の認識で

\\ホンマに寺があるって知らなかったYO!//

恥ずかしいほど無知ですいません。

以前に法恩院の不動尊の顔面に
にっしゃんが水ぶっかけた記事を書くにあたって、
なんで仏像にお水をかけるのかしらと調べていた時に、
法善寺の水掛不動尊について知りました。

ググってでてきた写真見て・・・
ちょっと、気持ちわる、
と思ってしまいました、
重ね重ね無礼ですいません・・・
(集合体恐怖症やねん)
実際見た感想は、プーさんでした(おい)

さて、商業地のど真ん中にあるこのお寺には、
どんな歴史があるのでしょうか。

元々は京都に建立されたという法善寺。
しかし1637年(徳川家光さんの時代)に、
時の住職が『金毘羅天王墾伝』の
故事に基づいて難波の地に移転させたのだとか。

その故事とはなんぞや・・・
と調べてみたのですが、
具体的なところがわかりませんでした(汗)

法善寺境内には金毘羅堂というものがあります。
こんぴら。そう、四国は香川県にある有名なアレ。

役小角(えんのおづの。
安倍晴明サマよりうんと昔の呪術者)が、
山で護法善神(ごほうぜんじん。
仏法を守護する天部の神々のこと)
金毘羅の神験に遭ったのが
金刀比羅宮の開山の由来という伝承があり、
これが金毘羅大権現になったとされて、
不動明王を本地仏(ほんじぶつ。
神の正体とされる仏のこと)としたそう。

・・・意味わかる?わたし、よくわからない←

この時代は神仏習合の思想があってね。
その中の一つに、
八百万の神々は実は様々な仏が日本の地で化身して現れた
「権現(ごんげん)」であるとする考えがあるのだとか。

で、金毘羅というのはサンスクリット語で
クンビーラといい、ガンジス川に棲むワニを
神格化した神様のことなんですね。
そして、薬師如来十二神将の一人でもあります
(この場合は「宮比羅(くびら)」という)。
まぁ、ワニだけあって水の神様なので、
金毘羅権現は海上交通の守り神として
信仰されてきました。

なんかかなり回り道してしまいましたが
(そして回り道の中身が自分で書いておきながら
いまいち理解で来てません←)

昔の難波は港町で、
読んで字のごとくよく荒れる海だったそうで、
海上交通の安全を祈願して
金毘羅天王が祀られるようになったんですって。

水を掛け始めたのは比較的近年、戦後からとのこと。
とある女性が、仏像に願いごとをした時に、
お供えされてた水を掛けたことが発祥なんですって。

「水掛け」と「願掛け」がかけられているいるようですね。

全然知らなかったのですが、
掛けるお水はバケツに貯められていて、
それがなくなったら次の人のために水を汲んでおく
という習慣があると。
わたしが訪れた際も、
パリッとしたスーツにピカピカの革靴を
お召しになられたインテリジェンスな方が、
井戸で水を汲んでいらっしゃいました。
ここでしか見れない光景ですね(笑)

2021.3.30 姫松なつき
参考文献:Wikipedia(法善寺、金毘羅権現、本地垂迹)
法善寺(https://houzenji.jp/
ぶらっとなんば(https://ebisubashi-magazine.com/

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