聖徳太子の創建という一運(いちうん)寺

さすがといいますか
弘法大師や伝教大師、法然上人など
そうそうたる有名人が訪れたといいます

その中の、法然さんのエピソードをちょろり

法然さんというと、鎌倉時代
「南無阿弥陀仏」と唱えましょうっていう
浄土宗の宗祖。

「南無阿弥陀仏」と唱えれば
悪いことをした人だって往生できる・・・
それは救いがあることを
教えたかったはずだろうのに

\じゃあ悪いことしよーぜー!/
\ナムナム!はいコレで往生できるし~(笑)/

という悪い安易な考えを持った輩が
出てきまくって
(いつの時代も、バカはいるのよねぇ)

元々いた仏教集団などから
「せっかくの偉大なる仏の教えなのに、
 簡単なこと言いよってからに!」
と反感を買って
「念仏停止!」と弾圧され。

さらに運の悪いことに、法然さんの弟子の
念仏の声があまりに美しすぎて
それに惹かれた後鳥羽(ごとば)上皇の女官二人が
勝手に出家。

後鳥羽上皇激おこ
(後鳥羽上皇の他のエピソードは、
 「 止止呂支比売命神社②」にもあり★)

弟子は死罪、法然さんは四国へと流罪に
(これを「建永(けんえい)の法難」と言います)

その後、わりとすぐに赦免されたものの
さすがにすぐに都に戻ることは許されず
ひとまず箕面のお寺に行くことになり
船に乗ったのですが

この船が嵐にあって
岸和田に漂着、そのまま住吉の浜まで
流されました

壊れた船を修理する間しばらく滞在したのが
ここ、一運寺でした

もちろんここでのんびりするわけもなく
説法を行い

「ゆきめぐる山路も里も吉水の
 清き流れのつきじとぞおもふ」

(吉水とは知恩院(法然さんの宗祖寺院)周辺の
 呼び名であり、そこから脈々と続く念仏の教えのこと。
 「ワタシが巡ってきた山里には吉水の流れが
 しっかりと続き、これからも途絶えることは
 ないでしょう」という意味)

という歌を残して立ち去ったそうで
一運寺境内には歌の刻まれた石碑がありました

石碑の写真を撮るのを忘れていたので
法然さんの似顔絵で許してください←

聖徳太子創建
法然上人滞在

そしてまだあるエピソードは
とある有名人のお墓があること
なのですが・・・

またまた長くなったので、次回へ続く★

2021.6.18 姫松なつき

参考文献:一運寺(http://www.eonet.ne.jp/~first-motion/

     一運寺境内にある看板

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