花の観音様がいる源聖寺 ~と、源聖寺坂~
先日ご紹介した淨國寺さんのお隣にあるお寺
源聖寺さん
天王寺七坂スタンプラリーのお話でも
チラッと出てきた源聖寺坂の、すぐ北側にあります
(源聖寺坂の名前の由来は、その名の通り源聖寺)
(立派な山門!)
こちらのお寺も浄土宗なので、ご本尊は阿弥陀如来
(でっかい本堂!)
訪れた日は、本堂で法要が行われていたので
目にすることは叶いませんでした
(何もない日は見られるのかな・・・?)
本堂には阿弥陀如来像の他にも
鎌倉時代に造られたという
お地蔵さんもいるみたい
ただのお地蔵さんじゃなくて
延命火除地蔵尊といって
火災から守り、身に降りかかる火の粉も
払ってくださるんだとか
江戸時代のこと
源聖寺のお坊さんが、夢の中でこのお地蔵さんからお告げを受けて
災難を免れたこともあるらしく
霊験あらたか~なお地蔵さんなんですって
本堂外にも、大変興味深い仏像がありました
それがこちら↓
なんだかとっても華やかできらびやか~~
こちらは救世観音菩薩
法隆寺にある久世観音菩薩像を模して造られたそう
この仏像より前に、
大阪の一心寺と京都の清水寺に
同じものが納められていたのですが
この二つは第二次世界大戦の際に
銃弾の材料にされてしまったんですって・・・
この仏さんからしたら、兄二人を戦争で失ったようなもの
その悲しみを超えて、今も源聖寺にいらっしゃるので
一層大きな力で人々の悲しみや苦しみを
受け止めて、救ってくださると信じられています
仏像を囲むように天井から吊るされているのは、布のお花
この花に願い事を書いて
紐に結んでお供えし、お祈りすれば
観音様が良い方向へと導いてくださるそうです
さて、こちらのお寺
安土桃山時代の1596年に
遠誉上人という人が建てました
もともとは、現在の西成区九条あたりに建てられていたそうです
しかし時は戦乱の世
遠誉上人は、
大事な大事なご本尊の阿弥陀如来像が
戦禍で失ってしまうのは嫌だと
寺の前の浜辺から仏像を海に流されました
大坂夏の陣が終息すると
徳川家康の治世になり、世は穏やかに
すると、浜辺で何やら光るものが
見れば、それは海に流したはずの阿弥陀如来像!!
遠誉上人は仏像を拾い上げ
そして家康さんが大坂の町並みを整えて
寺院を一カ所に集めることにした時
源聖寺も寺町へと移されて、現在の地に至ったとのこと
江戸時代初期に建てられた本堂をはじめとする建造物は
大阪大空襲の戦火は免れたものの
昭和48年に不審火により本堂が焼失・・・
しかし、山門と庫裏(お寺のお坊さんやその家族が住む所)は
江戸時代のもので
国登録有形文化財になっているそうです!
さてさてさて
次はちょろっと、源聖寺坂の方のご紹介も
昔々は、上町台地の上と下とを結ぶ道が
なかったために造られたとも言われる七坂
坂造りのために源聖寺はお寺の土地を
提供したそう
そりゃあ名前にもなるよね~
今はないけれど、かつては坂の中腹に
コンニャク好きの狸を祀った祠があったらしいです
・・・コンニャク好きの狸・・・
マニアックなキャラだなぁ
さらに坂を上りきった所には
これまたこの狸を祀った「源九郎稲荷」
という社があったそうな
(この神社は、今は生玉神社にあるそうです)
稲荷っていうと狐やん・・・
狐に狸が祀られる・・・変なの←
これはまた、あらためて生玉さん行って
拝んでみなければですね!
ハイ、では今日はこのへんで◎
下寺町はまだまだいろんなお寺があるし
七坂も攻略しなくちゃだし
歴史たっぷり忙しや~~★
2021.10.13 姫松なつき
<参考文献>
●源聖寺ホームページ
(http://genshoji.jp/)
●大阪文化財ナビ
「源聖寺庫裏」
(https://osaka-bunkazainavi.org/bunkazai/%E6%BA%90%E8%81%96%E5%AF%BA%E5%BA%AB%E8%A3%8F)
●『古地図で歩く大阪 歴史探訪ガイド』
(著者:ペンハウス)
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