街道の西のスタート地点にある開口あぐち神社に始まり
堺市にある金岡かなおか神社、古市の古墳群など
有名な史跡が多い竹ノ内街道ですが

その中でも忘れちゃいけないのが、
竹ノ内街道中間地点あたりにある、羽曳野市の野中寺やちゅうじ

      
/山門!\


(羽曳野市野々上5-9-24)

わたしは全然その存在を知らなかったのですが
仏像研究家やマニアがこぞって訪れるという
知る人ぞ知る名刹

なにやら、重要文化財である弥勒菩薩半咖思惟像みろくぼさつはんかしゆいぞうがとても有名らしい
高さ30.9センチという小さな像ながら
666年に造られたものというから・・・まぁ、すごいわけです
(仏像には疎いので、古さでしか価値がわからないのが
 お恥ずかしい・・・)

それがなんと、毎月18日にご開帳されるそうなので
そりゃあマニアは集まるよね~~

開帳デーには、弥勒菩薩半咖思惟像の他にも
同じく重要文化財に指定されている、鎌倉時代作の地蔵菩薩立像も
同時に見られるそうです◎

野中寺は西国四十九薬師霊場会の第14番なので
本尊は薬師如来やくしにょらいとなりますが、
こちらは秘仏のため公開されてないとのこと


/本堂!\

さてさて、そんな野中寺さん

666年に造られた仏像があるのだから
さぞ古い歴史があるに違いない

ハイその通り!(一人二役)

野中寺は、聖徳太子が建立したと伝わるお寺なのです!

王子ーーーーーーーーー!!!
(処天(山岸凉子の「日出処の天子」)ファンなので、思わず 笑)

太子の命により蘇我馬子そがのうまこが造ったというのが
より正しいかもしれませんが
まぁ、太子と馬子さんの関係ですからね

叡福寺えいふくじの「上の太子」、大聖勝軍寺だいせいしょうぐんじの「下の太子」に対し
野中寺は「中の太子」と呼ばれ
聖徳太子ゆかりの「河内三太子」と1つとなっています

し か し

近年、境内に残されていた塔土壇の発掘調査からは
創建は650年頃と確実視されているそう

聖徳太子は622年に亡くなっているので
これはおかしい・・・

実際は、百済くだら系渡来氏族のふね氏が
一族の繁栄と守護を願って建立した氏寺であると考えられています

船氏というのは6世紀後半、29代欽明きんめい天皇の時代に生まれた氏族

百済の王様の後裔である王辰爾おうしんにという人物が船氏の祖

この方は、蘇我稲目そがのいなめ(馬子さんのパパ)によって派遣され
船のみつぎ(税)の記録を行いまして

ようやってくれたと船司ふねのつかさという職を任ぜられ
船史ふねのふひと)」という氏姓が与えられたというわけ
(「史」というのは、渡来人系の官人組織を意味する)

そんな歴史のある船氏一族が、当時活躍していた場所が
丹比たじひ郡、つまり、野中寺がある周辺の地域なんだとか

考古学的にはほぼほぼそうだとわかっているようなのですが
野中寺が太子ゆかりの寺とされているのは
聖徳太子信仰の高まりの中で生まれたものだろうといわれています

うぅぅん・・・
なんかちょっと、残念なようななんというか(笑)

誰が建てたとしても、出土した瓦から、
7世紀半ば~8世紀にかけて造られたことは間違いない古いお寺
その後どうなったかというと・・・

度々火災が起こったために、創建時の様子がわかる史料が
全然残ってないからわからないんですって。残念・・・

中世には荒廃していて
近世に、律宗の道場として再興され
近代になって真言宗に転じたそうです

しかし、まったく何にもわからないかというとそうではありません

というのも
野中寺境内には、塔の跡と金堂の跡が残っているのです

こちらが、山門をくぐって左(西側)にある塔の跡

ずらずらっと並んでいる石は、かつて柱を支えていた礎石なるもの
真ん中の大きな石には穴が空いているのですが
これは塔の中心柱を支えた心礎しんそと考えられています

この塔の跡の正面
山門くぐって右側(東側)には、金堂の跡が

なにやら塔がありますが、こちらも地面に石が並んでいますね
これが、金堂の礎石らしいです

山門くぐって正面にあるのが本堂

本堂は、元々講堂があった場所に建てられています

そして冒頭にあります山門は、当時の中門に位置し
現存しませんが南門は、創建当時は竹ノ内街道に面していたそうです

と、まぁ、ほんのりかつての伽藍配置がうかがい知れるわけです

ただの歴史好きの素人には、建造物の並びなど気にならないのですが(おい)
仏教の歴史を研究する上では、この伽藍配置というのは
大変重要らしいですね
・・・でも、ちょっと難しいのでここでは割愛
下手なこと言えませんからね・・・(汗)
ご興味ある方は、もっとマニアックなサイトや書籍をご覧ください

正直な所、わたしには跡を見ただけでは
「ハァ」という感想しかなかったのですが(正直者)
野中寺九伽藍跡として、国の史跡にも指定されているので
見る人が見れば興奮必須なんでしょう・・・
そのすごさをかみ砕いてわたしに教えて・・・!

重要文化財の仏像と、国の史跡である旧伽藍跡の他にも
江戸時代に建てられた、
僧たちが住んでいた寮や食堂が今も残っていて
これらは大阪府指定の有形文化財になっています

有形文化財は他にもあります!
コチラ↓

わたしにはこれが一番胸アツでしたね~~♡

これはお寺に元々あったものではなく
野中寺から南西に約1キロ離れた場所にあった
ヒチンジョ池西古墳という古墳から発見された石棺です!!
1946年に発見されたそれを
恒久的な保護のために、野中寺境内に移築してきて
保存修理が行われたのだそう

誰がこの中で眠ってたのかはわかりませんが
石の隙間から中を覗いてみたりしてさ・・・
真っ暗で何も見えやしないんだけど
ああこの中で誰ぞが横たわり葬られてたんだな・・・と思うと
ソワァとするやん・・・!?

ちなみにこの石棺は、二上山から採掘された凝灰岩でできていて
7世紀終わり~8世紀初め頃のものということなので
古墳時代も終わりがけの頃のものですね!

あと、境内奥には
浄瑠璃や歌舞伎で有名なお染・久松の戒名が記された供養塔があるそうです
一般の方々のお墓もある墓地内になるので
わたしは見に行きませんでしたが・・・

たぶん、こちらも見る人が見たら
興奮必至なんでしょうねぇ

そんなこんな、見どころ満載なお寺でございました!
竹ノ内街道を歩いた際は、ぜひお立ち寄りくださいませ♪

街道好き以外
仏像マニアも寺好きも古墳好きも歌舞伎好きもどうぞー!!

2021.2.13 姫松なつき

 

〈参考文献〉

〇Wikipedia(野中寺、船氏、王辰爾)

〇せきどよしおの仏像探訪記
「野中寺の弥勒菩薩半咖像」
https://www.butsuzoutanbou.org/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C/%E9%87%8E%E4%B8%AD%E5%AF%BA/

〇古寺探訪
「野中寺」
http://www9.plala.or.jp/kinomuku/yachuji/yachuji.html

〇西国四十九薬師霊場会
「野中寺」
https://yakushi49.jp/14yachuji/

〇羽曳野市ホームページ
「野中寺」
https://www.city.habikino.lg.jp/soshiki/sekaiisan_bunkazai/bunkazai/bunkazai/iseki_shokai/asuka_nara/2418.html

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