宝泉寺 ~ずらりとならぶ13の仏像~
住吉大社のほど近くに住んでいる我が母
「住吉調べるんやったら、あっこ行ってみ
仏像がずらぁ~っと並んでるとこ」
という情報をくれました
場所聞く限り実家のすぐ近くみたいだけど
全然知らないわたし(汗)
「夜に通るとちょっと怖いで」
と
なんとなく、道端にお地蔵さんがずらっと
並んでるのかな?と思いながら
教えられた道を行くと
十三佛・・・これかな?
お寺の名前は宝泉寺(ほうせんじ)
(大阪市住吉区住吉1–6-2)
ちょっとイメージしてた感じと違うなと思いつつ
十三佛とやらを拝見
こ、これはなんか・・・
圧巻・・・
というか、確かにちょっと、怖いかもしれない(汗)
いや、怖いなんて言っちゃいけないんですけども
どれもこれも徳のある仏像ですし
なんですが、ちょっとビジュアルがね・・・(汗)
格子の向こう側に人が並んで
こっち見てると思うと、ちょっと、ね(汗)(汗)(汗)
そんな大きな建物ではなく
仏像のサイズもほぼ人間サイズ
(だから余計に、なんか、ね 汗)
13体あるわけですが
ただ13体並んでるわけではなく
この仏像のすごいところは
元は一つの石であると
作られたのは、寺伝によると
安土桃山時代
天正年間(1570~1591年)とのこと
学者の調査でも、16世紀後半~17世紀初頭と
推定されています
旧住吉村字石本(現在の神ノ木駅東南)から
掘り出された巨石を使って
13体の仏を刻んだそう
こういうスタイルの大きな十三仏は
国内でも珍しんですって
十三仏。
ただなんとなく13体刻んだだけではもちろんなく
“十三仏”には意味があります
わたしは知らなかった←
十三仏とは、室町時代になってから
日本で考えられたもので
亡くなった人を浄土に導く13の仏さんのこと
(正確には、仏陀と菩薩)
日本の仏教では、人が死んだら
お葬式のあと初七日があって
最近では法事もそこまでしなくなりましたが
33回忌までありますよね
正直、初七日と四十九日と
その後数年おきにあるというくらいの認識しか
なかったのですが
死後の法要は13回あって
それぞれに担当の仏さんがいるんですって
いやぁ・・・
人生で何度も法事には参列してるはずなのに
あまりにも何も知らなさすぎて(汗)
十三仏と法要については
また後日、調べて記事にしたいと思います
(そんなの常識やんって言わないで・・・
きっとちゃんと知らないわたしみたいな
アラサーいっぱいいると、思、う)
現世においては生まれ年の守り本尊とされていて
担当の干支もあります
わたしは辰年
(ヤダ、歳がバレちゃう)
守護仏は普賢(ふげん)菩薩
・・・し、知らない・・・(汗)
せっかくなので、普賢菩薩についても
また次回以降に調べます・・・!
宝泉寺の創建はなかなかに古く
平安時代中期天元5年(982年)に
源信上人によって開基されました
源信上人というと天台宗の僧ですが
浄土教という点では
浄土宗の法然さんの先駆け的なお方
とりあえずスゴイ方(説明ヘタクソか)
この源信さんが42歳の厄除けのために
自ら阿弥陀仏を刻み草庵を建立し
念仏坊と号されたのが始まり
ですが
しばらくして廃れてしまったのでしょうか
室町時代末期元亀2年(1571年)に
宝泉上人という人が再興して
宝泉寺という名前になったそうです
本尊は阿弥陀如来
宗派は融通念仏宗
融通念仏宗・・・
ああ、今回は知らないワードがたぁぁくさん(汗)
まだまだ勉強が足りないことがわかったところで
今回はこの辺で
どうぞ皆さん、住吉の名所
「宝泉寺の十三仏石仏」を
ご覧になってくださいませ!
なんかほんと、すごいから・・・(笑)
住吉大社から歩いてすぐですよ★
2021.7.21 姫松なつき
参考文献:Wikipedia(十三仏、源信上人)
飛不動 龍光山 正宝院
「仏様の世界 十三仏」
(http://tobifudo.jp/butuzo/13butu/index.html)
『イラストでわかる やさしい仏教』(監修:大角修)
宝泉寺内看板等
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