コロナめ・・・(もはやご挨拶)

ゴールデンウィークには
古墳群を自転車で巡る予定をしていたのですが
まだまだ当分叶いそうにありません・・・
本当なら足を運んでから書きたかったのですが
何かしら古墳ネタを書きたくてしかたがないので
(↑ 埴輪なつきの衝動 ↑)
本日は、仲哀(ちゅうあい)天皇陵古墳
ご紹介したいと思います!

ムラムラムラ(うずく古墳熱)

仲哀さんの古墳は
古市ふるいち古墳群にあります。

藤井寺駅から徒歩15分くらい
応神さんよりやや西の方向。
古市古墳群の中では
3番目に大きい立派な巨大古墳の一つで
綺麗な前方後円墳として残っています。
外提のすぐ脇に沿って小道があって
古墳を見ながらぐるりと
ほぼ一周歩けるんですって。

いいなぁ お散歩したいなぁ。

こちらの古墳、特徴的なのは

室町時代にお城として使われた

という歴史があること!
上空写真を見るに
今はお城の跡はありませんが
レーザー測量図で見ると
墳丘中央部が改造されているようです。

一体どんな輩が恐れ多くも
天皇の墓の上に城を築いたのか!
調べてみましたが
どうやら正確なことは
わかっていないようです。
ただ、15世紀末(室町時代&戦国時代の始め)の文献に
藤井寺城ふじいでらじょう
という記載があって
これがこの古墳の上の城ではないか
という可能性があるとのこと。
そしてこの城は
16世紀後半(戦国~安土桃山時代)の戦乱で
高屋たかや城主が拠点にした
と伝えられています。

この地は大坂夏の陣(1614年)に
道明寺どうみょうじ誉田ほんだの戦いが
あったことからも
ここには豊臣方の拠点が置かれていた
とする説もあり・・・
なんだかなぁ
巨大墳墓の地形をいいことに
戦場になってしまってたんですねぇ・・・
天皇の霊に祟られるとか考えなかったんやろか。
それとも
ちょうどいい小山としか
思もうてなかったんやろか(汗)

さて。
今更ですが
仲哀天皇どういうお方かご存じかな?

日本武尊やまとたけるのみことの息子!
住吉すみよしさんの神さんにもなっている
神功皇后じんぐうこうごうの旦那さん!
応神おうじんさんのお父さん!です。

九州征伐に行くも突然、
神がかった奥さん(神功皇后)に
「今は九州ちゃう、新羅しらぎや」って
言われたのを無視して死んじゃった人。

ザックリ説明にもほどがあるやろ!

って感じですが
9年という短い政権で
『日本書紀』や『古事記』にも
ほとんどその流れしか書かれていないのですよ(汗)
(神功皇后について紹介した記事
『住吉大社の神様②』には
もう少し詳しく書いております。
よければご参照ください★)

そんな仲哀さんの古墳・・・

絶対、絶対、
コロナ落ち着いたら行くんだからー!!!!!
待っててー!!!!!

古墳は逃げない。
それだけが今のわたしの励み・・・

古墳、フォーエバー・・・!

2021.5.7 埴輪なつき

参考文献:Wikipedia(岡ミサンザイ古墳)
『広報ふじいでら』(平成30年12月号)
『百舌鳥・古市古墳群ガイド』(発行者:宗形康)
『歴代天皇をゆく!』(綜合ムック)

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