行っていました!
\\古市古墳群!!!!// ドンドンパフパフ~~
うちから百舌鳥古墳群はわりと近いのですが、
古市古墳群はなかなか遠くて。
だけど最近、
仁徳ファミリーが好きすぎて、
どうしてもお会いしてみたかったのです。
仁徳さんのパパに・・・!
(※なんとなく勝手に仁徳さんを
中心に考えちゃうので勝手に
“仁徳ファミリー”と言っちゃってますが、
天皇家の歴史が好きなだけです)
古市古墳群に現存するのは45基、
そのうち26基が世界遺産に登録されています。
当然ながら一日で見て回れる数ではありません。
なので、とにかく一番行ってみたかった
応神天皇陵にまずは行ってきました♪
訪れた最初の印象は、
日本一の大きさである仁徳天皇陵よりも
どこか神聖な雰囲気があるなぁということ。
たぶん、仁徳天皇陵はそこそこ車通りの多い
道路沿いに拝所があるというのに対して、
応神天皇陵の拝所は一本道を入ったところにあり、
なおかつ外提と一体化するかのように
誉田丸山古墳がすぐ脇にあるので、
木々が多くて自然みを感じられるからでしょう。
応神天皇陵は全国で二番目に大きい古墳。
なのでやはり、
拝所から全体像を見ることはとても叶いません。
だけどそっと思いを馳せてみる。
ここに、応神さんがいらっしゃるのか・・・と。
・・・雑念は寄せ付けませんよ。
ここは応神さんの古墳なのよ。
ふんふん。
応神さんが八幡神、
というお話は、
百舌鳥八幡宮の紹介の際に触れたので、
ここでは出生エピソードをちょろり。
『日本書紀』には、
生まれながらに聡明だったとも記されているそう。
そのお母さんは、
日本史における最強の皇后
ともいわれる神功皇后(住吉さんの神さんだよ★)。
三韓征伐のときにはすでに臨月。
だけど戦の途中に生むわけにはいかないと、
お腹に石を巻いて3か月耐え、帰国後に出産。
生まれた赤子はママそっくりのムッキムキベイビー。
腕の肉が弓具の鞆(ほむた)のように
盛り上がっていたことから、
“誉田”の字を当てて
誉田別命(ほむたわけのみこと)と
呼ばれていたんですって。
さて、この応神天皇陵は、
古くから八幡神としての信仰の対象ともなり、
すぐ近くには誉田八幡宮もございます。
もちろんお参りに行ったので、
次回の記事でご紹介したいと思います♪
2021.3.3 姫松なつき
参考文献:Wikipedia(応神天皇)
『百舌鳥・古市 古墳群ガイド』(発行者:宗形康)
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