泉佐野の旦那実家近くにある
蟻通(ありとおし)神社
(泉佐野市長滝814)

創建は、社伝によると
なんと紀元93年!!
第9代開化(かいか)天皇の時代にできたのだそう!

わたしが大好きな、
日本一の古墳の仁徳(にんとく)さんが
第16代天皇

その7代前の時代というと
弥生時代中期

弥生時代・・・!

この頃に稲作りが始まったので
五穀豊穣と国土開発を祈る目的で
国造りの神である大国主命(おおくにぬしのみこと)を
祀ったのが始まりとされています

しかし「蟻通」の名前が広まったのは
平安時代のこと

こんな故事があります

***

歌人である紀貫之(きのつらゆき)が
旅の途中、馬に乗ってこの神社を
通りがかったとき

日が暮れ、大雨が降りだし、馬が倒れました

そこへ老人が現れて

「蟻通明神の境内を下馬しないで通った罰じゃ!」

と。

そんなん知らんやん!!
などとは言わず、貫之さんは歌を詠みました

「かきくもり あやめも知らぬ 大空に
 ありとほしをば 思ふべしやは」

この歌に老人は「ホッホー!」と感心し

「実はワシが蟻通明神でしたー★」

と明かして消えていき
そして馬は元気になって
貫之さんは旅を続けることができましたとさ

***

さすが歌人、というエピソード。

ちなみにこの歌、直訳すると

“一面曇った闇のような大空に
 星があるなんて思うはずがあろうか”

だけど、“ありとほし”に
“有と星(星がある)”と“蟻通”を掛けていて

「こんな曇った大空に星があるなんて
 わからないのと同じで
 こんな暗闇で、ここに蟻通明神のお社があるなんて
 思いつくだろうか。
 こんな無体な仕打ちを蟻通の神が
 なさるとは思えない」

という意味が含まれているんですって。

ヒィヤー!
たった31文字でそんなことまで・・・!
改めて和歌ってスゴイと思いました
(↑わたしの語彙力のなさよ 笑)

ちなみに、室町時代の申楽師である世阿弥が
謡曲『蟻通』の題材にしたことで
このストーリーは有名になりました

蟻通神社には本殿の前に舞殿があり↓

今年は9月20日(敬老の日)に
『蟻通』の能が行われるそうです!
能って難しいイメージであんまり興味なかったけど
観に行ってみたいなぁ。

さらに、清少納言の『枕草子』には
紀貫之のエピソードと
蟻通明神の名前の由来が書かれています

***

その昔
40歳以上の老人はいらない!
とかいう帝がいた時代

老いた両親を捨てきれず
隠していた中将がいて。

あるとき唐の国から
日本を攻めるためにいくつかの難題を
ふっかけてきまして

その中の一つ

 Q.中でグネグネに曲がった穴の開いてる玉がある
  どうやって糸を通せばいいでしょーか?

というものに対して
中将は両親に知恵を借りました

 A.アリに糸をくくり、玉の出口に蜜を塗る

これがアッパレ大成功
帝は中将とその両親に感心し
老人を捨てる習慣は改められ
そして後に、この中将と親を
“蟻通明神”として祀りましたとさ

***

課題も課題やけど答えも答えやな・・・
というのは、つっこんじゃいけないとこ(笑)

また、あるいは
昔、蟻通神社は熊野街道の近くにあって
貴族らの熊野詣の様子が“蟻の行列”に見えたから
という説もあるそうです

蟻通神社、境内には色々と興味深いものが
あったのですが
少し長くなってしまったので
また、次回★

 

2021.7.7 姫松なつき

参考文献:Wikipedia(蟻通神社(泉佐野市))

     コトバンク(蟻通明神とは)

     蟻通神社
     (http://www.aritooshi.org/index.cgi

     蟻通神社 境内石碑等

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