松原駅前のザ・セレクトンあべの松原というホテルにて
モーニングバイキングをもりもり食べて10時頃に出発しました!
(ゆっくりしすぎた★)

この日は前日と打って変わってお天気が悪く・・・
出発時はどんより曇り空
今にも雨が降り出しそうでしたが
ここで中止するわけにはいかないのでとにかく歩きます

ごくごく普通の住宅街ながら
道中にはこんな看板もあちこちにありました◎

阪和自動車道の手前(西側)、市営住宅の公園の前に
街道を記す柱がありました

(空模様やばすぎ・・・笑)

この植え込みにはこんなものも↓

「緑の一里塚」・・・

街道ビギナーゆえの無知をお許しいただきたいのですが
一里塚が何たるかを、わたしは知らずに歩いておりまして
今調べました(汗)

一里塚とは、旅行者の目印のために、大きな道路(街道)沿いに
1里(約4km)ごとに設置した塚のことです

江戸時代に、東海道などの主要街道を幕府が整備した際には
江戸の日本橋を起点に一里塚を置いたそうです

基本的には盛り土をして塚を作り
榎や松や杉などの木を植えたり、標識を立ててありました
木は目印でもあり、木陰は休憩場所にもなっていたそう

当時の物が現存するのは全国的にも大変稀で
消えたものがほとんどのようですが
復元したり、このように説明版を設置したりしているところもあるみたいです

竹ノ内街道沿いにある「緑の一里塚」は
2013年に、竹ノ内街道敷設1400年を記念して立てられたそうです◎

ところで、ここの一里塚の看板には
立部たつべ遺跡」と書いてあります

今ではなんてことない市営住宅が建っている
ありふれた風景が広がっていますが
この地では、土坑(粘土を採掘した跡)や
堀立柱建物の跡や井戸跡が見つかっており
それらは平安時代後期から鎌倉時代の頃の
河内の鋳物師いもじの工房に関わるものではないかと
いわれているそうです!

またこの周辺は立部遺跡と呼ばれ
なんと縄文時代から中世にかけての遺跡があるんですって!
鋳物師関係の鋳造関係の遺跡の他にも
集落の跡や、寺院関連の跡も発見されており
太古の昔から脈々と集落が営まれていた場所のようです

高架下を抜けさらに進むと、溜池のほとりに一里塚発見!

1里も歩いてないけど・・・一里塚

さらに進みます

池、また池、そして池

この辺りは池が多いです
農業用水として溜池が多く作られたからなんだとか

いや、この辺に限らず、大阪って溜池が多いんですって
わたしは大阪市内・大和川の近くに住んでるので
池というものが身近になかったため
古市付近は池が多いなァと思っていたのですが
大阪は昔から瀬戸内気候ゆえ降水量が少ないので
あちこちに溜池を作っていたんですね

今どの池を通ったんやっけ・・・
と地図をなぞりながら歩いていると

ついに雨粒が、ぽつり・・・

次回、水も滴るいい女・姫松が
古市に上陸、古墳にコーフンいたします~~(笑)

2022.1.22 姫松なつき

〈参考文献〉
●Wikipedia(一里塚)

●旧街道ウォーキング 人力
 「一里塚」
 (https://www.jinriki.info/kaidolist/yogo/ichirizuka.html

●1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」
 「緑の一里塚」
 (https://takenouchikaidou.jp/%E7%B7%91%E3%81%AE%E4%B8%80%E9%87%8C%E5%A1%9A/

●松原市ホームページ
 「立部遺跡」
 (https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/bunkazai/1/1/9/2453.html

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