履中天皇陵古墳 ~ビュースポットでハイ、ハニ~!~

コロナめ(ご挨拶)

桜の頃に大仙公園と仁徳(にんとく)天皇陵古墳には行ったのですが
行けなかったの、
履中(りちゅう)天皇陵・・・

履中天皇陵は大仙公園から道路挟んだ南側にあります。

近いけど、時間の都合で行けなかったんですよ・・・

公園からすぐの所に、ビュースポットがあるんですって!
拝所とは真逆の後円部サイドにあって
お立ち台もあって、フェンスを気にせず墳丘見て
撮影もできるんですって!無料で!!!

埴輪ポーズして写真撮りたい・・・!

撮るよー! ハイ!ハニ~♡
(↑埴輪なつきの妄想)

・・・嗚呼(現実)

履中天皇陵古墳は、全国で3番目の大きさです。
ちなみに、1番は仁徳さん。
2番が応神おうじんさん。
さすがというかなんというか
仁徳さん前後がいかに偉大だったか、ですね。

履中天皇については以前「反正はんぜい天皇」の
記事でも触れましたが
(「2021.3.2 反正天皇」参照)
今一度少しお話を。

履中さんは仁徳さんの長男。
色々あって、同母弟(次男)の住吉仲皇子すみよしなかつみこに命を狙われ
(「2021.3.2 反正天皇」参照)
住んでた難波宮から
飛鳥山あすかやま(羽曳野市らへの山)まで逃げて
山を越えひたすら逃げて
石上神宮いそのかみじんぐう(奈良県天理市)まで逃げに逃げて。
もちろんその道中も、
住吉仲皇子の放つ伏兵が待ち受けていたわけですが
最終的には同母弟(三男)の瑞歯別皇子みずはわけのみこに命じて
殺害させて
ホッと一安心、即位しました。

しかし在位はわずか6年という短さで、
(仁徳さんは在位87年!)
病気のため崩御したといわれています。

この間、業績として伝えられているものも
父・仁徳さんほど多くありません。
日本の各地に書記官を派遣し、その土地の情報を
朝廷に集める事業を開始したり
蔵職くらのつかさと呼ばれる朝廷の財産を
管理する役人を諸国に派遣し、朝廷への献上物を
管理するようにしたり

筑紫つくし(福岡県)の課税を重くしすぎて
筑紫の神に祟られたり。

・・・ドンマイ(汗)

履中さんの頃に、蘇我そが氏や物部もののべ氏といった
大豪族が政治に参加するようにもなってきました。

葛城かつらぎ氏がブイブイ幅を利かせてた頃に比べて
履中さんの代では、豪族たちの均衡が保たれ
連合政権といった感もあり
パパンである仁徳さんが安定させた朝廷の支配権を
全国に広げようとしたようです。

とはいえ、皇居の側に遊ぶための磐余池いわれのいけを造り、
(現在の奈良県桜井市・橿原市)
舟を浮かべて雅に遊ぶ会を主宰したりもしたそうです。

必死のパッチで住吉仲皇子から逃れたわりには
呑気に遊んだり、あんまり活躍することなく
お亡くなりに(チーン)

だけども全国3番目という
巨大墳墓を築いてもらえたのだから
応神さん、仁徳さんに次いで
国民に愛された天皇だったのではないかしら。

緊急事態宣言が解除されたら

\\ツーショット撮りに行くからー!!!//

(ツーショットではない)

2021.5.12 埴輪なつき

参考文献:Wikipedia(履中天皇)
    『百舌鳥・古市古墳群ガイド』(発行者:宗形康)
    『歴代天皇をゆく!』(綜合ムック)

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