堀江といったら
大阪で最もおしゃんな若者の街やん?

埴輪のおばちゃん、御堂筋は歩けるけど
堀江はちょっと近寄りがたい。

そんな堀江。
何気なく堀江堀江言うてたけど、この「堀江」

仁徳にんとくさんが作ったんだよォォオオオオ!!!

何度でも言いますが
仁徳さんとは、世界最大の墳墓の天皇です。

仁徳さんについては、「高津宮」の記事で
「民のかまど」のお話を紹介しました。
(「高津宮 ~仁徳天皇が造った都~」)

この思い切った減税政策の他に
仁徳さんは、超一大公共土木事業をしているのです!

昔の大阪はこのような地形になってましてね

淀川と大和側は大阪湾に注いでますが
大阪平野と大阪湾の間には上町台地があって
(大阪市民は小学校のとき絶対習ったやつ!)
川の流れをせき止められてました。

そのために大阪平野のほとんどが
草香江くさかえ」という湖になってたそう。

そこで仁徳さんは、台地の一部を掘って
水が大阪湾に流れるようにしたのです!

これを「難波の堀江(なにわのほりえ)」と言います!

出た堀江。 ほらきた堀江。 ほーらほらほら
仁徳さん!!!(やかましい

とはいえ、現在の若者の街「堀江」と
「難波の堀江」は、場所が一致しないので
直接の関係はないともされてるみたいですが(汗)

「難波の堀江」は現在の天満橋付近。
そのため、大川が「難波の堀江」だという説があるそう。
ちょうど陸地を分断するように流れているから。

もちろん古墳時代からは大きく変化してるのでしょうが
今度から大川見たら仁徳さんを思い出しちゃう♪

さらに「難波の堀江」を造った後
茨田の堤まむたのつつみ」と呼ばれる堤防も築き、
淀川の氾濫も防ぎました。
これらのおかげで、大阪平野からよりたくさん
収穫を得られるようになったそうです!

(※難波高津宮は仁徳さんのおうちだよ!)

ちなみに「茨田の堤」は門真市にちょびっとながら
現存するらしいです!!
そして「草香江」の名残との伝説がある池も、
門真市にあるんですって。弁天べんてん池という池。

か・・・
門真に行きたい!!!!!笑

他にも仁徳さんが行った土木事業は多々あり
京都、奈良、南河内の方面にまで及んでいたとのこと。

聖帝と呼ばれるにふさわしい功績の数々。
さすが、古墳日本一!

2021.5.13 埴輪なつき

参考文献:Wikipedia(難波の堀江堀江(大阪市)
     公共財団法人 関西・大阪21世紀協会
    『百舌鳥・古市古墳群ガイド』(発行者:宗形康)

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