寺社仏閣紹介記事ではなくて
申し訳ないのですが・・・
雑談程度に聞いて行ってくださいな。

どうも!
埴輪なつきでっす!!!!!!!!!
(↑勢いがすごい)

古墳フンフン♪
とウキウキのルンルンで天皇家の系譜を
見ていてふと思ったのです。

――卑弥呼っていつの時代や?――

歴史の授業で〈邪馬台国の卑弥呼〉について
習ったのは間違いないけど、
それがいつの時代の話なのかって
すごく記憶が曖昧・・・
645年 大化の改新!とか、
710年 平城京遷都!とかは
ちゃんとした年がわかってるし
覚えてるけど、
卑弥呼さんは何年に生きた人・・・?

縄文時代→弥生時代→邪馬台国→古墳時代→飛鳥時代・・・
っていう流れかな?と思ったんですよ。

でも、古墳について調べてたら、
こういう情報がでてきたんですね。↓

「箸墓古墳(奈良県)は卑弥呼の墓と考えられている」

ファッ!?
え、卑弥呼に古墳あんの!?!?

そういえば、
古墳から出土しているものの中に
銅鏡があるのだけど・・・これ、
卑弥呼習ってるときに教科書で見たやつや。

グーグル先生~~!
卑弥呼って何年の人!?!?!?

A.はっきりした年代は不明だが、
中国の諸々の書物から250年くらいの人物。

『三国志(俗にいう魏志倭人伝)』によると、
238年に魏から銅鏡を与えられているもよう。

238年というと・・・神功皇后の時代!!!!!

ええー!
神功皇后が三韓征伐してるときに、
卑弥呼は魏と交流してた・・・?
想像するだけで胸熱やん・・・?

それにしても、
歴史の授業で〈古墳時代〉について
習った記憶がすごく曖昧なんですよ。
習った?いや、たぶん習ってる。
〈前方後円墳〉っていうワードは
古墳にハマる前から知ってたもの。

だけど、この古墳に眠るのが天皇家の人々であって、
仁徳さんに応神さんに神功皇后に・・・とは、
習わなかったと思う。
だから、天皇ファミリーにどっぷりハマってる今、
卑弥呼の時代と古墳時代がリンクしなかったんだ。
でも、実際はこう↓


日本列島のあちこちに古墳群はあるわけだから、
もちろん天皇家が全てだったわけではないでしょう。
日本武尊が東から西まで平定したとはいえ、
日本書紀や古事記に残らないながらもスゴイ人はいたのだろうし、
とんでもない歴史的瞬間もあったはず。

色々な研究の中で、
卑弥呼は天照大御神なんじゃないかとか、
神功皇后と同一人物なんじゃないかとか、
あれやこれやと噂されていたりもしますが・・・

真実が明らかになってほしいような、
謎のままであってほしいような。

謎が多いということも、
古墳時代をよりロマンに感じさせているのだと思ったり。

ああコーフン。

案外、
「あらこんにちは。あたしはこれから
百済に行かなきゃなの」
「あら、お宅も忙しそうね、
うちはこれから魏へ使いを送るところよ」
みたいなやり取りがあったかも・・・
しれませんよね(笑)

2021.4.10 埴輪なつき
参考文献:Wikipedia(卑弥呼、神功皇后)

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