日本最大の古墳で有名な仁徳さん。
その名前からもわかる通り、
とても思いやりがあって徳のある、
民に尊敬された天皇。
お父さんは応神天皇で、
住吉さんの神様になっている
神功皇后がおばあちゃん。
そんなサラブレッドな仁徳さんが
天皇に即位したときに、
都を難波高津宮に移されました。
そう、大阪の谷町9丁目にある高津宮は、
仁徳天皇をご祭神にした神社なのです。
とっても良い天皇だったとして、
平安時代初期に旧都の遺跡を探して、
そこに仁徳天皇を祀る神社が造られました。
しかしながらどうしてなのか、
豊臣秀吉が大阪城を建てる際に
比売古曽社(ひめこそしゃ)のあった場所に
高津宮を移されたとのこと。
(元々はもっと大阪城の近くにあったのかしら?)
とはいえ、
上町台地に仁徳天皇がいたのは事実。
大昔は、上町台地の西側は
すぐ海が広がっておりました。
高台にある高津宮からは、
さぞかし良い景色が見えたことでしょう。
高津宮境内西側にある絵馬堂。
この辺りは、
江戸時代には大坂の街並みを
一望できる最高のビュースポットだったのだとか。
そして仁徳天皇は、
その高台の上から庶民の暮らす町を見下ろし、
あることに気づきました。
「家々から煙が全然あがってない・・・
え、みんなごはん炊いてへんの・・・?」
やばい、
みんな税金苦しすぎてろくに
ごはん食べられてないんちゃうやろか!?
と思った仁徳天皇は、
それから3年間税の徴収をやめて、
都も節約するために
宮殿の屋根の萱も変えなかったんですって。
今の政治家も見習ってほしいものですね・・・って、
こういうのはあまり言っちゃいけないかしら、
ゲフンゲフン。
これが仁徳さんが国民に支持されたエピソードの一つで、
他にも大阪の街のためにいろいろしてくれたことが、
記紀に記されています。
(個人的に昂った話もあるので、また紹介します♪)
とはいえ仁徳天皇も人の子。
奥様との仲は微妙だったようで、
ずっと別居状態だったとか・・・
その理由が、
腹違いの妹とラブラブしちゃってたからだとか・・・
もう、そんなこと記録に残さんでもええやないか・・・
そっとしといてあげなよ、
ということまで、
記紀には載ってるんですねぇ、
おそろし(苦笑)
現在の高津宮絵馬堂からは、
西に向いてすぐ目の前に・・・
ビル(マンション?)があります。
海岸線はおろか、
街並みを見下ろすこともできません・・・
時の流れとは悲しきかな、
もはや見上げるくらいの建物があるなんて。
それでも、
戦争で焼けてしまっても再び建てられ、
今なお上町台地の地にあるのは、
仁徳天皇が氏子たちに敬われ続けてきたからでしょう。
そして、
大阪がにぎやかな街として繁栄できたのは、
古くは仁徳天皇のおかげ・・・
だったからに違いありません。
(女癖はアレやったけどね←)
2021.2.13 姫松なつき
参考文献:浪速 高津宮(http://www.kouzu.or.jp/index.html)
Wikipedia(仁徳天皇)
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