ズバリ、タイトルの通り。

日本最古の国道、竹ノ内たけのうち街道
皆さんご存じかしら??

わたしはつい最近まで聞いたこともなかったのですが
百舌鳥・古市の古墳や古代史を調べてるとですね
まぁまぁな頻度で目にするんですよ

紀州街道とか、熊野古道とか
むかーしからある道が今でも残っている、ということ自体は
当然ながら知っていたので
竹ノ内街道についても、昔からある道なのね
くらいにしか思ってなかったんで・す・が

何の気なしに調べると、
日本で一番古い官道だというじゃぁあーりませんか

誰でも聞いたことあるだろう熊野古道は
世界遺産にもなっていますが
道ができたのは、熊野詣が流行りだした中世期

対して竹ノ内街道は
推古すいこ天皇の時代に整備された道!!!
つまり、飛鳥時代。正確には613年。
フワァーオ

竹ノ内街道は、難波と飛鳥のみやこを結ぶ道なのです

そう

一番古い都は大阪
次いで奈良

古都と言えば京都が取り上げられやすいけど
いーやいやいや、もっと古いのは大阪やしな!!!
(よくある大阪人の大阪びいき 笑)

大阪を貫き奈良へ続く最古の道は
日本遺産に登録されています

まぁね・・・
熊野古道ほど景観が良いわけではないから
世界遺産にはなれないのかもしれませんが・・・
それでも、日本の遺産になってる道が

すぐ近所にあるんですよ!!!

歩きたい・・・・・・・!!!!!

ってわけで、歩いてきたんですよ
(記事の投稿が遅くなりましたが、9月に行ってきました)

(ここがスタート地点!)

スタート地点は阪堺電車の大小路駅付近
そこから、奈良県葛城市にある長尾ながお神社まで続いてるのですが
さすがに時間の都合で全部は歩ききれませんでした・・・
(トータルで約26キロあります)

わたしの竹ノ内街道旅についても
おいおいお話していきたいところではあるのですが

ひとまず、もう少し深く竹ノ内街道について
ご紹介させてください◎

***

むかーしむかしは、難波に京がありました

それが聖徳太子の時代になると、京は飛鳥へ

しかし、難波は廃れたわけではなく
外交の玄関口として、大変重要な都市でした

難波京から、堺市にある金岡神社の辺りまで
まっすぐ太い道がありました
これを難波大道なにわだいどうといいます

難波と飛鳥を結ぶため
難波大道から大阪を横断する道、竹ノ内街道が整備されました

竹ノ内街道の西端は、現在の大小路駅
そこには開口あぐち神社があって
少し行くと百舌鳥古墳群
さらに進むと古市古墳群
そして聖徳太子やその周辺の天皇の墓がある
王陵の谷があります

まさに、古代におけるメインロード

この道を通して、大陸からの外交使節、
遣隋使や遣唐使がやってきて
多くのものがもたらされました

仏教もそこからやってきて
聖徳太子が道沿いに多くの仏教寺院を建立されました

中世になると、大阪と奈良に京はなくなりますが
今度は“経済の道”として重要になってきます

街道西端の堺は、南蛮貿易や日明貿易の港湾都市として
大きな経済力を持っていました
ザビエルだって堺に来たんだもんね!

江戸時代になると、街道は
大阪と奈良から伊勢をつなぐ、“伊勢神宮への道”としての
役割を持つようになりました
太子から葛城に至る道中には、
伊勢への道しるべとなる灯篭や道標が今でも残っているそうです

移り行く歴史の中で、
様々な人、物、そして文化が運び込まれた竹ノ内街道

今はすっかり、メインロードの面影はなくなりました
しかし、街道の大半は現在国道166号線として
多くの人が日々行きかっています

ひたすらに西から東へ歩くのもいいけれど
街道沿いには由緒ある寺社や古墳もたくさんあるので
少し寄り道しながら史跡を巡りつつ
ついでに、せっかくなら美味しい街道グルメにも出会いたい

ロマンあふれる竹ノ内街道の
姫松なつきの楽しみ方を
これから少しずつお伝え出来たらなと思っています♪

〈シリーズ竹ノ内街道〉、乞うご期待★

2021.1.8 姫松なつき

〈参考文献〉
●Wikipedia(竹ノ内街道)

●歴史街道
 「大阪と奈良を結ぶ日本最古の官道 竹内街道」
 (https://www.rekishikaido.gr.jp/aruku/takeuchi/

●1400年に渡る悠久の歴史を伝える「最古の国道」
 ~竹内街道・横大路(大道)~
 (https://takenouchikaidou.jp/

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