大阪は阿倍野

昔の豪族・阿倍あべ氏が住んでいたことが地名の由来になっていると考えられている地

阿倍氏が氏神として建てた阿倍社あべのやしろが、阿倍王子神社の由来であるということは、前回の記事でお話しました
(阿倍王子神社についてはコチラの記事をご覧ください⇒「阿倍王子神社」)

大化の改新によって、奈良に住んでた阿倍氏がぞろぞろっと大阪の今の阿倍野のあたりに移住してきて
でも、都が飛鳥に戻ると再びぞろぞろっと帰っていってしまったそうですが

ゼロにはならなかったんでしょうか

平安時代、阿倍野に安倍保名あべのやすなという男がおりました
(“阿倍”はいつごろからか“安倍”と改めたらしいけど、この時代や理由は不明)

保名さんはある日、和泉いずみ信太明神しのだみょうじんへお参りに行きましてね

さて帰ろうかというときに
狩りで追われた白狐が逃げてきたんです

あらあらかわいそうに、とかくまって逃がしてあげたのですが、保名さんが追ってきた狩人に捉えられ打たれてしまいました

「いてててて・・・」

と川に出て傷口を洗っていたところ、葛乃葉くずのはと名乗る水を汲みに来た若いおなごがやってきて、保名さんを介抱してくれました

そう、彼女こそがさきほど保名さんが逃がした白狐
狐の姿を隠して保名さんへお礼をしにきたのですね

二人は親しくなって、一緒に阿倍野へと帰り、結婚してともに暮らすようになり
やがて子どもも生まれました

安倍童子あべのどうじと名付けられたその子こそ
後の稀代の陰陽師、安倍晴明あべのせいめい公だったのであ~~~る

と、『葛乃葉伝説』に記されています

安倍晴明神社は、安倍晴明が生まれた地に建てられた神社なのです

安倍晴明の神社で有名なのは、京都にある晴明神社の方でしょうか
あっちは、大人になった晴明サマが住んでた屋敷があった場所に建てられたそうです

京都の晴明神社の方が有名だし人気だしで、阿倍野の安倍晴明神社は京都の分社だという人もいるようですが、そういう関係ではなく、どちらも独立した神社

現在、安倍晴明神社は阿倍王子神社の飛び地境内末社という位置づけですが、なんせ飛び地なので見た目には境内も別なので、全然末社感のない立派な神社です

安倍晴明神社が建てられたのは、晴明サマがお亡くなりになった2年後の1007年のこと
晴明サマが亡くなったことを惜しんだ花山かざん法皇が、生誕の地に晴明サマを祀るように、晴明サマの子孫に命じて建てたと、『安倍晴明宮御社伝書』に記されています

この花山法皇と晴明サマのエピソードはあるっちゃあるんですが
(花山天皇が人知れず出家しようとしてたとき、晴明が天皇の退位を察知した・・・というお話)
二人が仲良しこよしなエピソードが見つからず、なぜ花山法皇が晴明サマを祀るほどその死を悼んだのかはわかりませんでした・・・

ちなみに、京都の晴明神社も創建年代は同じですが、建てたのは一条いちじょう天皇(花山天皇の次の代)
晴明サマの偉業を称えて、その御魂を鎮めるために、屋敷跡に社殿を設けたとのこと

まぁ・・・
時のスーパースター陰陽師だった晴明サマだから、朝廷のお偉方とは皆関りもあっただろうし、天皇さんらもあれこれお世話になったんでしょうねぇ

安倍晴明神社は、江戸時代には代々大阪城代(大阪城に置かれた江戸幕府の役職のひとつで、畿内の治安・警備から、西国の諸大名の動向を監視するなど、西の最高責任者)が参拝するほど有力な神社でした

しかし、幕末維新の混乱により、明治時代には小さな祠と「安倍晴明誕生地」の石碑のみになるほど廃れてしまいました

それでも、地元有志の尽力で大正時代になると神社の復興が計画され、大正10年に阿倍王子神社の飛び地境内社として認められ、その4年後には、現在の社殿が再建されました。

その社殿は現在、国指定登録有形文化財となっております

さてさて
それでは、安倍晴明神社境内をご紹介~~◎

・・・って

なんということでしょう・・・
鳥居の写真を撮るのを忘れていたようです・・・おバカさん・・・

というわけで、さっそく拝殿

こちらも阿倍王子神社と同じ七夕飾りが飾られていました。キラキラ~

晴明サマのご利益は、なんてったって魔除け&厄除け
晴明サマのパワーにあやかって、色々と悪いモノふっとばしてもらいましょ・・・!

阿倍王子神社で頂戴してきた安倍晴明神社の由緒書きには、
「学業成就・技芸上達・火難病難除災・安産」のご神徳があると書かれてありました

あ、安産・・・?

葛乃葉ママンにあやかってるのかな・・・?

境内には安倍晴明像があります

が、安倍晴明っていうと、映画『陰陽師』で野村萬斎さんが演じた姿が浮んでしまうから、この像見てもピンとこない・・・(笑)

安倍晴明神社の要チェックポイントはこちら

江戸時代の文政年間(1818~1830年)に建てられた「安倍晴明誕生の地」と刻まれた石碑!

と、その左側にある、「安倍晴明公産湯井の跡」!
晴明サマは・・・ここでお生まれになったんや・・・!

「誕生の地」石碑の右側の岩は「鎮石しずみいしはらみ石)」
看板には、「この大石は古代の船のいかりで鎮める意から安産を祈る石となり孕み石とも呼ばれて信仰されています」とあります

・・・安倍晴明神社の安産のご神徳はこれかい・・・?

晴明像の横には、ママンの碑も
安倍晴明神社には「葛之葉姫図」という絵が所蔵されていて、それを基に作成されたものです

そう
狐である本性を隠して家族3人暮らしていたのですよ、安倍ファミリー

しかしある時うっかり狐の姿になっちゃったのを、幼い晴明くんに目撃されてしまって

「バレてしまってはもう・・・!一緒に暮らせないわ・・・!」

と、信田の森へ帰ってしまった葛乃葉ママ・・・

でも、家にひとつ歌を書き残していったのです

「恋しくば たずね来てみよ 和泉なる 信太の森の 恨み葛の葉」

保名パパは幼い晴明くんを連れて信太の森へやってきました
すると、こちらを見つめて涙を流している白狐がいるではありませんか

「葛乃葉・・・ああ、その姿では子どもが怖がるから・・・
 どうか昔の姿で今一度なぐさめてやってくれないか」

と保名パパが言うと、白狐は女の人の姿になって我が子を抱き上げ、形見に白い球を与えた後、再び狐の姿に戻って森の奥深くへと消えていきましたとさ・・・

っていうのが、本記事の最初の方に保名パパと葛乃葉の出会いについて書いた「葛乃葉伝説」の続きであって、後世へと語られ継がれ江戸時代には戯曲化されて、人形浄瑠璃や歌舞伎で上演されるようにもなったんですよ
だから、江戸時代には大阪城代が参りに来るほど、江戸時代に晴明サマは有名だったんでしょうね

そうそう

鳥居をくぐってすぐ右手に、末社がひとつあるんです

泰名稲荷やすないなり神社という、お稲荷さん

お稲荷さんってあちこちにありますが、その多くは京都の伏見稲荷ふしみいなり大社から勧請したもので、頂いたご分霊には自由に神名をつけていいことになってるんですって

“泰名”・・・これはおそらく、保名さんの名前にちなんだに違いない

この神社は、まさに安倍晴明ファミリーの神社・・・!

ところで見て

安倍晴明神社では、御朱印を頂戴しました
五芒星の朱印が欲しくってさ・・・!えへえへ

京都ほどではなくとも、さすがの認知度ゆえか、小さな神社ながらも参拝者が途切れることはなく、ご朱印も次から次へとお願いされて、社務所のおばさんも大変そうでした(汗)

社務所には様々なお守りの他に、おみくじもありまして
阿部王子神社の八咫烏おみくじもかわいかったけど、安倍晴明神社もまたかわいい・・・!

でも、おみくじって、「かわいい・・・!」だけで引くものではない気がしたので、わたしは引きませんでしたが・・・ぜひぜひ見るだけでも見てみてください♡

社務所の隣には占いコーナーも

安倍晴明にあやかって陰陽道や占星術で占ってくれるのかと思ったら、手相や風水、タロットカードでも、とにかく占ってくださるようです

しかも、年末年始以外ほぼ年中無休で、日替わりで誰かしら占い師さんがいるもよう(午後のみ)

占いって行ったことなくて・・・
気になったんですけど、やはりひよって行きませんでした・・・

陰陽師・安倍晴明

逸話は数多くあるものの、その出生やご先祖様には謎が多いお方

「葛乃葉伝説」の大阪生まれが一番有力らしいですが、讃岐生まれ説や茨城生まれ説もあるとか

晴明サマゆかりの地というと、やはり都のあった京都の方が多いかと思いますが、それこそ和泉市にある晴明ママンがいる信太森葛葉稲荷神社とか、大阪にも晴明サマゆかりの地はあるんじゃないか・・・?どうかな・・・?

最近は古代にお熱でしたが、魑魅魍魎はびこる平安時代も・・・おもしろいよね

とにもかくにも
晴明サマを祀る神社は京都だけじゃありませんからね!
ぜひとも、晴明サマがお生まれになった大阪の安倍晴明神社へもお参りください★

2022.7.24 姫松なつき

〈参考文献〉
●OSAKAINFO 大阪公式観光情報
安倍晴明神社

●和泉市ホームページ
広報いずみ ⑦JULY 2011

●晴明神社
ご由緒

●大阪文化財ナビ
安倍晴明神社

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