竹ノ内街道を歩いた際、近くにあった来迎寺らいこうじというお寺に寄りました

前回の記事でご紹介した、丹南天満宮たんなんてんまんぐうの近くにあります

(松原市丹南3-1-22)

寄りました・・・っていうのは
ほんとに寄っただけで
境内には入っておりません・・・(汗)

というのも、この日はなにやら
翌日に法要があるとかで、お坊さんたちが皆バタバタしてらして
入り口には法要の関係者っぽい人や
業者のような人がわらわらいてて・・・
入りづらい空気に、ただの旅人、ひよってしまいました(汗)
(安全第一の向こうにスーツの人たちがたくさんいたんや・・・)

ですが、いろいろ調べたことをご紹介させてください◎

***

こちらのお寺、始まりは行基ぎょうきさんだそうです!!

行基さんってあれよ
中学の歴史の授業でも習う、奈良時代の有名な僧で
奈良の大仏をつくった人!

寺伝によると、
奈良時代、731年に、超有名僧行基さんが
狭山池の水利工事による死者を供養するために毘沙門天びしゃもんてんを祀ったのが
始まりだそうです
このころは、毘沙門院びしゃもんいんと号しました

時は流れ、平安時代末期
1131年に、融通念仏宗ゆうづうねんぶつしゅうの開祖である良忍りょうにんさんという人が
阿弥陀如来あみだにょらいを安置するお堂を建てて
融通念仏十ケ郷辻本大勧進阿弥陀寺と称するようになりました

時の天皇、崇徳すとく天皇や鳥羽とば上皇が良忍さん推しだったので
この頃は各地に融通念仏の教えが広まっていた時代でもありました

しかし、良忍さんが死んでしまうと
良い後継者に恵まれず、融通念仏宗は衰退してしまい
大念仏寺や阿弥陀寺などは荒廃してしまいました

そしてまた時代は流れて、鎌倉時代末期
法明ほうみょうさんという僧が、融通念仏宗を復興

良忍さんの大事な聖跡とされる阿弥陀寺が荒れていることを惜しみ
近くの菅生すごう神社(現在の堺市美原区にある神社)から感得した
阿弥陀如来の絵を勧請して、阿弥陀寺を中興
寺号を河内十箇郷六本別寺諸仏山護念院来迎寺と改められました
(この阿弥陀如来画は、現在でも来迎寺に保管されているそう)

融通念仏宗というのは歴史の授業では習わなかったと思うので
(少なくとも中学時代は習ってない・・・
 高校はいってないからわかりませんが・・・)
良忍さんの名前さえ知名度は低いんじゃないかと思いますが

融通念仏宗において、開祖である良忍さんと
それに次ぐ法明さんは超重要人物

そんな、良忍さんが建て、法明さんが中興した来迎寺は
江戸時代に入ると、法明さんの由緒寺院として、
融通念仏宗の中本山となりました
境内墓地には法明さんの供養塔もあるそうです~~
わたしは見てないけど~~~~←

さて、法明さんのおかげで中興した来迎寺ですが
今度はその法明さんが病に伏せってしまいます

弟子たちの看病もむなしく、どんどん弱りゆく法明さん

石清水八幡菩薩より神の加護を受けているご本尊・・・
これをお祀りする後継者を決めるまでは死ねない・・・

起き上がることもままならなくなってなお
後継者を決めかねて悩んでおられました

否、候補はいたのです

とても真面目におつとめに励む、弟子の実尊じつそんさんです
先輩僧を抜いて、特に秀でた高僧でした

しかし法明さんは懸念します
実尊に委ねたら、周囲の先輩僧たちの妬みにあうのではないか、と

とはいえ、考えれども他に頼める弟子はおらず
法明さんは自分の亡き後のご本尊を、実尊さんに任せられました

実尊さんはそのことに大変感激し
法明さんの志をしっかりと受け継ぐために
ご本尊をしっかりと抱きかかえ、他の僧に見つからぬうちに
その場を立ち去りました
そしてまずは故郷へ帰り捧げようと決めます

しかしさっそく他の先輩僧たちにバレてしまい
ご本尊を抱えた実尊は先輩僧たちに追いかけられてしまいます

我こそが本尊を守るべき者!!!
とカン違いした先輩僧たちが、前から後ろから実尊を追い詰めました
そしてなんとまぁ、実尊さんは26回もの兵火にあいながらも
とにかく本尊を抱えて逃げました

あるとき、追い詰められた実尊さんの前に辻堂が見え
実尊さんはそこへ逃げ込みました

暴徒化した兄弟子たちは、扉を開けようとしますが
びくともしません
ええいままよと、全員で一斉に松明を辻堂へ投げ込みました

しかし、なんということでしょう
実尊さんの周りだけが燃えないのです・・・!
仏さんが、実尊さんを守ったのです・・・!

火は逆に兄弟子たちの方へと燃え広がり
あたりは一面地獄絵図

そんな中、ご本尊をしかと抱きしめ佇む実尊さんに
皆は恐れおののき、ひれ伏したということです

という伝説の残る実尊さんは
その後守口にお堂を建てて、念仏宗の普及に努めたそうです

実尊さんの後は、守口から枚方をまわり受け継がれてゆき
そして丹南藩の高木氏の手により丹南へと迎えられたと伝えられています

そうそう、守口市にも来迎寺という名のお寺があるのですが
まさに、実尊さんが建立したお寺だそうです!!
こちらは後に浄土宗のお寺になりましたが
すごいお方やで実尊さん・・・!

ようやく丹南の地に戻るも
大坂夏の陣では真田幸村によって丹南一帯が全て焼かれて
来迎寺も焼失してしまいました

1647年に、源通上人という人によって再建され
以降は丹南藩の藩主・高木氏の菩提寺となり
高木氏の信仰、地元民の信仰により守られてきました

そして現在に至ります

来迎寺に訪れた際には、ぜひこの徳の高い3人の僧について
思いを馳せてみてください◎
次回はわたしも、勇気を出して境内に入ってお参りしたいと思います・・・!
(拝観は自由だそうです!)

2022.1.24 姫松なつき

〈参考文献〉
●松原市ホームページ
 「来迎寺と法明上人」
 (https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/kankou/bunka/2_3/7/4615.html

 「来迎寺が迎えた実尊が、本尊を預かった由来」
 (https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/kankou/bunka/1_3/2/3096.html

 「来迎寺と実尊・丹南の来迎寺の民話」
 (https://www.city.matsubara.lg.jp/soshiki/kankou/bunka/1_3/2/3094.html

●融通念仏宗総本山 大念仏寺ホームページ
 「融通念仏宗のあゆみ」
 (https://www.dainenbutsuji.com/guide/history/

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