聖天山古墳&丸山古墳跡 ~阿倍野にも古墳はあった!~
ハーイ!
2週連続埴輪なつきでございますございます!!
住吉大社から天王寺まで寺社巡りウォーキングをした姫松
阿倍野神社~阿部王子神社~安倍晴明神社と参りまして
でも、いっっっっっちばん行きたかったのはココ!!
\聖天山古墳/
(大阪市阿倍野区松虫通3-2)
ホホホホホホホ
大阪市内に現存する数少ない古墳のひとつでございます♡
昔はね、現在の大阪市内にあたる土地にもたくさんの古墳があったのですが
長い歴史の中で消えていってしまったんですね・・・
現在現存するのは
・住吉区の高級住宅街にある帝塚山古墳
(詳しくは「帝塚山古墳~高級住宅街の古墳~」をどうぞ)
・天王寺区にある、古墳なのかどうなのかちょっとビミョーな茶臼山古墳
(詳しくは「茶臼山古墳~大阪市内の前方後円墳~」をどうぞ)
・阿倍野区にある聖天山古墳
・生野区にある御勝山古墳
(まだ見ぬ古墳・・・)
・平野区の瓜破霊園内にある花塚山古墳&ゴマ堂古墳
(まだ見ぬ古墳・・・)
・東住吉区にある酒君塚古墳
(昔このへんに古墳群あったらしい)
これくらい・・・かな
その中でも、ちゃんと墳丘が残ってるのは帝塚山古墳と茶臼山古墳くらい
御勝山古墳や花塚山古墳は、いろいろな史料を見る限り、盛り上がってはいるけどあんまり古墳感はないかな・・・
酒君塚古墳も元の姿は不明なほどで
今回ご紹介したい聖天山古墳も・・・
これやからね・・・
この、木が一本どーんと立ってて、石垣で囲まれてるとこ
よく見たらキッズたちが登って遊んでる・・・
わたしね、勘違いしてたんです
聖天山っていう山があって、その頂上には正圓寺というお寺があるのですが
てっきり山自体が古墳で、古墳の上にお寺があるんだと思ってたんです
だから山に登って、お寺に参って
お寺の境内やらその周辺を歩いて、どこかに古墳の案内板あるんじゃないかと探したんですよ
グーグルマップには古墳の案内板の写真はあるけど、引きの写真がないからそれがどこにあるのかわからない
それでもなおネットで調べまくったら
公園内の木の下にあるというじゃないですか・・・
石垣の手前のね、コンクリの花壇?のところに小さいパネルがありました
このパネルに書いてある通りだと
この辺り一帯には古墳群があったと推測され、正圓寺境内部分も前方後円墳の一部じゃないかと考えられてるようですね
1950年までは原生林のような手つかずの荒地だったそう
それが翌年、現在公園となっている聖天山公園一帯で土採り工事が行われた際、土器や鉄刀が発見されたんですって
こりゃぁ工事進めるわけにはいかん!ってなわけで教育委員会に連絡が行き、発掘調査が行われ
発見された玄室内からは多数の副葬品や、人骨も出土!
6世紀後半に築かれた横穴式石室をもつ直径十数メートルの円墳の存在があきらかにされたとのこと
今はその円墳は残っておらず
ただ、“古墳跡”というには、一応古墳の一部も残っている・・・といった感じでしょうか
(※2014年に阿倍野区で発行された『あべの歴史マップ』には、「帝塚山古墳ほどの規模の周濠をもった前方後円墳であったと推定」と記載アリ。公園内のパネルは2019年設置。5年の間で見解が変わったのかどうなのかはわかりません・・・)
1723年のこと
京都の大通寺より正圓寺へ和尚さんがやってきて、自ら木ぃ彫って大聖歓喜天を手作りされ
それをご本尊に祀ったことが、聖天山の名前の由来になっているそう
歓喜天というのは、仏教の天部というグループに属する「お聖天さま」という名前で親しまれる神さん
(天部はインド古来の神々が仏教に取り入れられたものなので、日本の八百万の神とはちょっと違うヨ)
歓喜天は、他の神さんや仏さんが聞いてくれなさそうなお願いでも聞いてくれるという、最後の砦的神さん
また、財運をもたらす神さんとされ、庶民に信仰されてきました
大阪人好きそうよね~(笑)
江戸時代に歓喜天信仰が広がったとされますが、歴史的にはもっと古くからあって
平安時代にも歓喜天信仰の記述が見られたり、豊臣秀吉や徳川家康も歓喜天を信仰してたんですって
歓喜天のお姿というのが、象が2体抱き合ってるという、珍しい仏像
(歓喜天の由来となるヒンドゥー教のガネーシャという神さんが、象頭人身の神さん)
正圓寺の歓喜天は国内最大の「聖天さん」と言われていますが、秘仏なので見ることは叶いません
というか、歓喜天を祀るお寺では絶対秘仏として非公開にしているところがほとんどなんですって
というのも、
歓喜天像を祀る厨子を開けること=歓喜天を正しくお祀りすること
なので、歓喜天を信仰してお祀りするにはなかなか細かい作法がいるため、歓喜天修法を会得していない人は見ちゃダメってことになってるんですね
(まれに公開しているお寺もあります)
ちょいと脱線しすぎましたが
そんなわけで、正圓寺に歓喜天が祀られたことで「聖天さん」と呼ばれるようになったのが、聖天山の名前の由来
ちなみに、歓喜天が祀られる以前は、
聖武天皇がこの古墳に立ち寄ったことから、「聖武帝山」と呼ばれてたそうです~
聖武天皇が何故立ち寄ったのか・・・
ふらりと寄っただけなのか、あるいは聖武天皇がわざわざ向かうほどの誰かが葬られた墓だったのか、まったくわかりませんが・・・
さて
昔はこの辺にもぽこぽこ古墳があったわけですが、現存するのは聖天山古墳のみ
でも、聖天山公園から少し北にいったところに、丸山古墳跡というのもございます
大きな古墳だったわけではなく、面積82㎡ほどの円墳で
その頂上には長方形と宝冠形の石塔が2基安置され、墳丘には老松が茂り、その西側のやや低くなったところに濠の跡らしいくぼ地があったそう
形が丸かったことから丸山と呼ばれておりました
それが、大正12年のこと、古墳の表土が鋳物用にめっちゃエエ土やん!と誰ぞが気づいて、採掘されてしまったんですね
そのとき、石棺や香炉などなどたくさんの埋葬物が発見されたのですが、まだ今のように考古学が発達していない時代だったために調査も研究も何も行われず、出土品もろとも古墳まるごとなくなってしまいましたとさ・・・
なんてこったい・・・!
まぁ、あらゆる時代で、あらゆる理由で削られてしまった古墳は多々あるんでしょうね
天皇の古墳ってわかってたら誰も触れないのかもだけど
もはや誰が眠ってるかもわからない古墳は、昔のそのへんに住んでた人からしたらただの小山・・・
「あら何か出てきたわ」と思っても、金銀財宝でなければただのガラクタ・・・とか思われちゃったんだろうか
石碑に書いてある通り、この石碑があるのが元々あったとされる古墳の東の基底
ここから西一帯が古墳だったとのこと
つまり、このマンションは元古墳のあったところに建ってるんですね・・・!
おぉ・・・コーフンするというか、恐れ多いというか・・・(ゴクリ)
ともあれ
阿倍野にお越しの際は、ぜひそこにあった古墳群をイメージしながら歩いてください♡
次回は聖天山のてっぺんに建つ正圓寺についてご紹介したいと思います!
お楽しみに◎
2022.9.11 埴輪なつき
〈参考文献〉
●大阪再発見!
「阿倍野の塚・古墳」
「聖天山」
●Deep Experience
「聖天坂古墳」
●東住吉区ホームページ
「酒君塚古墳」
●阿倍野区ホームページ
「あべの発見!」
●神仏ネット
「歓喜天(大聖歓喜天)|聖天さんと親しまれる神様のご利益や怖い祟りとは」
●『マンガでわかる仏像』(監修:三宅久雄)
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