あびこ。

住之江区に住んでたわたしには
わりと耳馴染みのある地名

なんか昔知り合いがあびこの方住んでたような
あと友達があびこのパン屋で働いてる

けど、特に頻繁に訪れたことはない、あびこ。

この地名の由来
それは、前回・前々回の大依羅おおよさみ神社の記事をお読みいただいた方なら
ピンとくるのではないでしょうか

そう、住吉のこの地に昔住んでいた豪族
依羅吾彦よさみあびこの「あびこ」です!

大阪市編入前は「依羅村」と呼ばれていた地域が
今では「我孫子あびこ」になっています
(※昔の範囲と今の町域には範囲の違いはあります)

依羅一族は中世期には滅んでしまっていますが
今でもこうして町の名前に残っているのって
なんだか感慨深いものがある・・・

地名の漢字は“吾彦”じゃなくて“我孫子”
色々理由はあるようですが長くなるので割愛・・・

さて

そんな歴史的由来のある町名のあびこには
飛鳥時代に創建されたお寺があるのをご存じか

わたしは名前は聞いたことあったんですけど
そんな古いお寺だとはつゆ知らず・・・!

なんか聞いたことあるお寺だし行ってみよ~
と思って、参る前にネットで調べてみてびっくりよ・・・

東大寺や四天王寺なんて有名どころよりも
なお古いお寺・・・!

創建、なんと今から1400年以上昔
546年、29代欽明きんめい天皇の時代!

欽明さんというと、聖徳太子のおじいさんに当たるお方です

ちょうど仏教が大陸から伝わりだしたのが欽明天皇の時代なので
超先駆け的お寺・・・!

というか

「日本最古のお寺」とグーグル先生に訊ねると
奈良の飛鳥寺が出てくるのですが
飛鳥寺の創建は596年らしいんですよ・・・
え?さらに古い・・・?

その寺の名は
観音宗総本山 大聖観音寺だいしょうかんのんじ
通称、あびこ観音


(大阪市住吉区我孫子4-1-20)

***

欽明天皇の時代、膳臣巴堤便かしわでのおみはてびという人が朝鮮半島に派遣され、
百済くだらの王から日本の国土安泰を祈って
元々は任那みまなにある大伽藍のご本尊の胎内仏を託されました
(胎内仏とは、仏像の胎内の空洞に納められている小さな仏像)

それは、身の丈1寸8分(およそ5.5センチ)の
聖観世音菩薩像でした
インドの金でできていて、
インドから中国・朝鮮へと渡ってやってきた代物
(ちなみに、インド~中国・朝鮮~日本へとやってきた仏像のことを
 「三国伝承の請来仏しょうらいぶつ」といいます◎)

巴堤便さんは大事に仏像を持ち帰ってきたのですが
当時、仏像は正式には飛鳥の都へ持ち込めなかったので
飛鳥の手前、難波依羅郷なにわよさみのさとのあびこ浦の丘に
草庵を建て、そこに仏さんを安置しました

するとまぁ
「なにやら霊験あらたかな仏が祀られてるらしいで!」と
どこからともなくウワサが立って
その土地に住んでた豪族の依羅さんや
付近に定住していた漢人(中国から渡来してきてた人やその子孫)が
たくさん集まってきて信仰しはじめました

それがホントにご利益ありまくりだったので
評判はうなぎ登り

しかし、創建から6年経った頃
時の権力者・物部守屋もののべのもりや

「仏教なんてそんな異国の宗教がナンボのもんじゃい!
 八百万の神だけ祀らんかい!」

と排仏運動を起こしましてね

「仏教徒なんかくそくらえ!
 仏殿は焼いてまえ!
 仏像なんか捨ててまえ!」

と・・・
あびこ浦の聖観世音像ももれなく捨てられてしまったのか
いつの間にか草庵から消え失せ
行方が知れなくなってしまいました・・・

しかしこの騒動から35年後
このお方の登場によって排仏派は滅びます

きゃー!おうじー!!
(山岸凉子氏の「日出処の天子」ファンです 笑)

仏教といえばこの方、聖徳太子

「仏法興隆の詔」が発せられると
依羅一族も漢人たちも大喜び

行方不明の尊像を探しつつも
任那に渡り、伽藍のご本尊「聖観世音像」を請い受けて
あびこの草庵に置いて大事に大事にお祀りしました

さらに20年の時が経ったある日
聖徳太子があびこ浦にやってきて
偶然この仏像と対面し、地元の人たちからその縁起を聞きました

「あびこ浦は風光明媚にして観音霊場にふさわしい浄域だな
 ただちに伽藍を起こして観音道場とするがよい」

と仰り、莫大な資金を用意してくれたので
そりゃあもう民衆は大喜び

そして12年の歳月を費やして
ついに壮大な寺域に荘厳な聖観音寺ができました

これが、618年のことといわれています

***

創建から127年が経ち、奈良時代の745年の秋のこと

難波の宮の聖武しょうむ天皇が病気に苦しんでおりました

名医の薬も効かず
高僧の祈祷も効かず
病状は悪化する一方・・・

ある夜、天皇は夢をみました

かわいらしい童子が出てきてこう言います

「都から西南の方角、山の中に滝があって
 そこにいる竜王が、世にも尊い尊像を持ってるの
 この尊像を拝むと、病気もどんな厄ものがれることができるから
 尊像をもらって宮中にお祀りしてね」

これは不思議な夢をみた
これがマジならあやかるしかない・・・!

そう思った天皇は、当時のトップスターならぬトップ僧である
行基ぎょうきさんを呼んで、その話をしてみました

その時、行基さんはなんと78歳の高齢・・・
しかし天皇の命とあらば行くしかない
夢のお告げの通り、行基さんは西南の方へと向かい
泉南の山中までやってきました

さて、ここからどうしたものか・・・
と思った矢先
人里離れた山中にもかかわらず、都風の童子がひとり
遊んでいるのが見えました

おや珍しい・・・と思いつつも

「ちょっとお聞きしますが
 この山の中に滝がありますかな?
 それと、何か変わったことなどないかな?」

すると童子は
天皇の夢の中で語ったことと同じ言葉を口にし
話し終えるとその姿はスゥと消えて見えなくなりました

これはマジですね・・・

行基さんは滝へと向かい
そして竜王の出現を願い、三日三晩ひたすらに祈りました

骨に凍みるほどの寒さの中でも
全身全霊をこめて祈り続けた結果
ついに滝の中から竜王が現れました

その右手には聖観世音の尊像があり
竜王はそれを行基さんに授けました

「まことにありがとうございます!」

行基さんは尊像を受け取りましたが
さらにこう続けました

「このお像を竜王さまから頂いたことを
 天皇や人々に信じていただき
 まことに霊験あらたかであることを知らすために
 竜王さまから頂いたという証拠も頂きたいのです」

すると竜王は、像を持っていた右手を自らかみ切って行基へ授け
そうして水中に去っていきました

まさかの手・・・!?

と驚きつつも竜王へ感謝し、行基さんは急ぎ都へ戻りました

都で待っていた天皇もそれはそれは大歓喜
ありがたやありがたや・・・と拝めば
病気もたちどころに治ってしまいました

天皇は竜王へありがとうの気持ちを込めて
竜王が現れた地にお寺を建てました

ところで

竜王が授けてくれた聖観世音像
それこそが、守屋に捨てられ行方知らずになっていた
皆が探し求めていた聖観世音像だったのです・・・!

***

さらに時は経ち、1469年
戦乱の世の幕開けともされる応仁の乱の戦禍にまきこまれ
竜王の地の寺院も燃えてしまいました

しかし、寺の僧によって、なんとか聖観世音像と竜の手だけは
高野山の聖無動院しょうむどういんに移されました

またまた時は流れて戦国時代も終盤の1590年
豊臣秀吉サイドの大軍に囲まれて
落城した小田原城主の北条氏直ほうじょううじなおと、
その重臣である東三郎左衛門とうさぶろうざえもん
高野山へ逃げ隠れました

のちに二人は出家して
三郎左衛門さんは快敬という名前に

快敬さんは聖無動院の聖観世音像を日々拝んでいて
ある日の夜に夢をみました

「我はあびこ山観世音と祀られた聖観世音菩薩・・・
 汝仏門に入って、我を再びあびこ山に還らしめよ・・・」

目覚めてから、ほんまかいなと師匠の僧侶に話してみれば
「そりゃすぐに仏像持ってあびこ行っといで!」と

快敬さんは小さな聖観世音像を抱え、高野山を下山し
あびこの地にて寺を再興しました

その後大坂夏の陣が勃発

真田の軍勢に本陣を襲われて逃げてきた徳川家康
家来の一人と命からがら
あびこの寺に逃げ隠れてきました

家来が言います
「父さん助けてくれ・・・
 豊臣軍に追われてるんだ、ここにかくまってくれ!」

そう、この家来、名を東助左衛門といって
あびこの寺の住職であった快敬の息子
そして快敬さんは、息子と共にいる人物を見てビックリ

というのも、家康さんがまだ子どもで
今川邸の人質にされていた竹千代くん時代
快敬さんは今川義元いまがわよしもとに仕えていて
竹千代くんのお世話をしていた経験があったのです

「大きくおなりになって・・・!
 私はその後、桶狭間の一戦で今川家が滅び・・・
 北条氏直さんを頼ったものの、小田原が落城し
 高野山に行って、あれこれあって今ここにいるのです」

と語れば、家康さんもビックリ

その後大阪城が落城し家康さんが凱旋すると

「子どもの頃もこの度も、とても世話になりました!
 どうか、ご本尊の胎内仏を江戸城鎮護の念持仏として
 しばらく赤羽根の円明院に祀らせてください
 これまでのお礼に、助左衛門には駿府城の勤番として
 五百石を、そしてこの観音寺には堂塔をプレゼントします!」

助左衛門さんは老後は出家して盛長と名乗り
快敬さんが亡き後、あびこ山を継ぎました

1640年、家康さんの15回忌法要に招かれた盛長さんは
三代将軍家光に会って、赤羽根の円明院に祀られていた
あびこ山観音の胎内仏を還して頂くよう願い
そうして25年ぶりに元の地に安置されることになりました

***

これほどまでの歴史があり
霊験あらたかすぎるあびこ山観音寺は
明治初期まで数々の寺宝を所蔵していたそうですが
明治14年に起きた火災により
伽藍のほとんどが焼失してしまったそうです

境内は廃墟のようになり
廃寺寸前までいったそうですが
栄基法主なる方が復興の大願をおこし
多くの信徒の協力も得て
九州は阿蘇山ろくの木材を切り出して
本堂、庫裏、護摩堂、山門・・・と
現存の建物を次々と再建することができました

そして、先代法主があびこ山の伝統と
日本最古の聖観世音菩薩を頂いて
昭和21年に「観音宗」を開祖し、今日に至っているのですが

この先代法主のお名前が、東栄建さん・・・

そう

快敬法主の末裔です!!

ひゃーーーー
すごい歴史
歴史たっぷり

古すぎる寺社は、えてして火事や戦禍にまきこまれて
宝物やら書物やらが燃えてしまって
歴史の詳細がわからなくなることも多いじゃないですか

あびこ観音も明治時代の火災で廃寺寸前まで
燃え尽きてしまったというのに
よくよくここまで詳細な歴史が残っていたものだなぁ・・・

そして、幾度とない危機にあっても
ご本尊の聖観世音菩薩像が失われていないことに
もはや鳥肌が立ちますね・・・ソワァ・・・

大変長くなりました
次回、あびこ観音境内のご紹介をしたいと思います!
初めて寺院の御朱印も頂いてきちゃったよ!

2022.3.27 姫松なつき

〈参考文献〉

●あびこ山観音寺ホームページ
https://abikokannonji.com/

●あびこ山観音寺で頂いたパンフレット

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