一運寺① ~創建はあの超有名人!?~
まだまだ緊急事態宣言の開けぬ日々
毎度おなじみ、
姫松なつきのご近所の住吉(すみよし)ぶらり
本日ご紹介するのは
住吉大社のすぐ北隣にある一運寺(いちうんじ)
(大阪市住吉区住吉2-6-23)
実家から徒歩1分足らずのとこにあるのに
知らなかったんだぜぇ・・・
こちらのお寺の山門の前に
こんなものがありましてね
看板には、
「飛鳥(あすか)への小径(こみち)」とあります
・・・小径すぎて、とてもじゃないけど
飛鳥まで行けないし
なんならスタートから一運寺にさえたどり着かない
超小径←
もちろん、物理的に飛鳥に繋がる道
というわけではありません
飛鳥といえばあの人
聖徳太子にゆかりのある場所ゆえに
つけられた名前なのです!
こんな身近に!
聖徳太子ゆかりの地が!!!???
*****
ある夜、聖徳太子は夢をみました
西の方角に
地上から天に昇るまばゆい光
これは何かと驚き尋ねると
「住吉の地こそ実に過去七仏転法輪の処」
という声が聞こえて
目が覚めました
(当時42歳だったらしいけど
ついつい山岸凉子の『日出処の天子』の
厩戸(うまやど)スタイルで描いちゃう・・・笑)
*****
「過去七仏」というのは
釈迦を含む仏の悟りを開いた7人の高僧
「転法輪」は
法輪(教義)を伝える、の意味
住吉大神に神功(じんぐう)皇后
海神(わだつみ)もいる神さんだらけの住吉には
どえらい仏さんもいるという・・・!
そこで住吉に七堂伽藍(僧侶が集まる場所)を建て
「転法輪寺」と名付けられたのが
一運寺の始まりだそうです。
すごい歴史・・・!
それゆえに、本堂には昔から聖徳太子の像が
あるそうなのですが
訪れた日は、本堂の扉も、内側のカーテンさえも
閉じられていたので
本堂の中がどうなってるかは不明です・・・
(こちらは山門。奥に見えるカーテンかかってるのが本堂)
本尊である阿弥陀如来像は
鎌倉時代末期の作品と考えられており
大阪市の文化財に指定されているとのこと
ですが
これもまた、お目にかかることはできませんでした。
本堂の中は覗けませんでしたが
境内にあるお地蔵さんを拝むことはできました
最近お地蔵さんについて勉強したので
じっくりお顔を見てみて
ちょっと思ったことがあるの
お地蔵さんて、ほんとにやさし~~いお顔を
していらっしゃる
いくつかあった、そのどれもが
なんともいえずやさしいお顔
例えば大仏とかを前にすると
恐れ多い気持ちになるというか
ハッと息を飲むというか
ちょっと緊張感のようなものを感じるし
如来さんは美しさに見惚れてしまうし
お不動さんは、色々見透かされているような
ちょっとした怖さを感じるし
そんなにたくさんの仏像を見てきたわけでは
ないですが
いずれも何かしら心動かされる
感じがするのですが
お地蔵さんは、さすが子どもの守り神というか
一般の民からも愛されたのがわかるというか
全てを温かく見守ってくれてるような
癒しのお顔をしていらっしゃる。
そして、こんなお地蔵さんがいました
/にっこり\
「こまもり地蔵」ですって。
横には、「ふれあい手形」というものも。
お地蔵さんの左手と、子どもの右手を合わせて
合掌の形を作り
お地蔵さんと触れ合って「しあわせ」に
なりますように、と。
おててのしわとしわを
あわせてしあわせ
な~む~~~~
っていうCMが脳内をよぎりました←
(今でもあるのかしら)
一運寺の見どころは他にもあるのですが
長くなったので、次回へ続きます★
2021.6.16 姫松なつき
参考文献:一運寺
(http://www.eonet.ne.jp/~first-motion/)
大阪市 「木造阿弥陀如来立像(一運寺)1躯」
(https://www.city.osaka.lg.jp/kyoiku/page/0000117455.html)
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