「したでらまち地蔵盆献灯会」のパンフレットの
地蔵盆スタンプラリーのイラストを描かせて
いただいたのに
一度も下寺町のお寺に行ったことがなくてですね

先日下寺町へ行ってみたのですが
時間の都合で全部はとても参れず・・・

今日のところは、まず最初に訪れた
淨國寺じょうこくじさんのご紹介をば♪
(大阪市天王寺区下寺町1-2-36)

(立派な山門!)

天王寺七坂スタンプラリーもありますからね
「天王寺七坂」
また何度か足を運んで
全てのお寺を見てみたいと思います◎

***

創建は室町時代の1560年

1560年というと、桶狭間の戦いがあった年!
聞いたことはある、習った気がする、
でも全然覚えてない!←
(織田信長と今川義元の合戦だってサ・・・)

ともあれ、460年もの歴史ある寺院です

浄土宗のお寺なので
ご本尊は阿弥陀如来
(浄土宗と阿弥陀如来については
 「阿弥陀如来」にて
 少々詳しく語ってますので
 よければご覧ください★)

こちらの阿弥陀如来像は江戸時代初期のもの
とのことですが
お目にはかかれておりません・・・

(こちら本堂・・・
 こういう場合って、階段上って
 中覗き込んでいいのかな・・・?)

淨國寺さんに訪れて、まず目に飛び込むのは
この看板↓

夕霧太夫ゆうぎりだゆう・・・
太夫、ということで
べっぴんな遊女というのはわかりますが
わたしは知りませんでした
(世の中知らんことだらけやでぇ・・・)

どうやらこの方
それはもう、超のつくべっぴんさんで
日本三太夫の一人で絶世の美女とのこと!

生まれは京都で
幼少の頃に、京の遊郭・島原に身売り方向に出され
「扇屋」という置屋(遊女屋)のお抱え遊女に

数年後、「扇屋」が大坂の遊郭・新町へ
移転するのに伴って、夕霧も大坂へ来たのですが

京でのウワサは大坂にも広がっていて
大坂の人たちはやいのやいの言いながら
淀川べりで夕霧を乗せた船を待ってたそう

そうして夕霧は、大阪で最初の太夫となりました

太夫というのは、遊女ランクのトップ
見目が良いだけではなくて
あらゆる芸事に長けていなくてはいけないし
『古今和歌集』などの和歌をはじめ
様々な古典も読めなくてはいけなかったそう
(つまり、漢文が読めること)

夕霧さんは、国内きっての才色兼備だった
ということですねぇ・・・

新町に移って、その人気はさらに爆上がり
しかしながら、病気のため
1678年に27歳の若さで亡くなってしまいました

ってなったらもう
大坂中の人たちが泣いて惜しんで悲しみました

夕霧が亡くなった日は
夕霧忌ゆうぎりき」という俳句の季語になったというから
なんかもう、すごい歴史を刻んでるお人

というかそもそも、有名人の忌日が
季語になってるというのを知らなかったのですが
他にどんな人の名が季語になってるのかというと
たとえば「法然忌」だったり
「西行忌」、「空海忌」、「兼好忌」・・・
そ、そうそうたるメンバー・・・!
(他にもたくさんあります
 知らない名前も多々←)

季語になるほどの有名人なので
死後、様々な作品の題材にもなってらっしゃいます

近松門左衛門の人形浄瑠璃に
井原西鶴の浮世草子etc…

これまたビッグネーム・・・!

そんな、当時の超有名人・夕霧太夫のお墓が
淨國寺さんにあるというのです

・・・でもなんか
あんまり墓地をウロウロするのも気が引けて
(一般の方々のお墓もありますからね)
どれが夕霧太夫のお墓だったのか
わかりませんでした・・・(汗)

淨國寺さんでは、毎年4月の第1日曜日に
「花まつり 夕霧太夫行列」と呼ばれるお祭りを
開催されているそうです

淨國寺さんのホームページには
その様子が動画で見られるようになっていて
いや~も~~綺麗やったわ~~(おばちゃん)

今年の夕霧太夫行列は雨により中止
去年はコロナ禍で縮小して行ったとのこと・・・

来年には、動画にあるような
賑やかで華やかな大行列を
生で見ることができたらいいなぁ

さて、淨國寺さんについて
まだご紹介したいことはあるのですが
長くなったので、ひとまずこのへんで~~

2021.8.21 姫松なつき

参考文献:Wikipedia(夕霧太夫)

     淨國寺ホームページ
     (https://jyoukokuji.jp/

     公益財団法人 関西・大阪21世紀協会
     「なにわ大坂をつくった100人
      第46話 夕霧太夫」
     (https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/046.html

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る