堺の菅原神社のご祭神の1柱である野見宿祢のみのすくね
(「堺の天神さん~日本最古の薬師神社もあるよ~」)

同じく菅原神社のご祭神である天穂日命あめのほひのみことについての記事にて、

その子孫であり、菅原道真の祖先であることをご紹介しました
(「天穂日命~アノ有名人の祖伸だよ!~」)

今回は、そんな野見宿祢さんについて
もうちょっとつっこんで調べてみました◎

***

天穂日命の14世の子孫であるとされる野見宿祢

天穂日命が出雲の神さんになってるので
野見宿祢も出雲出身

それが、11代垂仁すいにん天皇の頃に、出雲から大和へやってきます

宿祢さんはめちゃくちゃ力の強いムキムキな人

大和にも、同じくムキムキで向かうところ敵なしな
當麻蹴速たいまのけはやという男が大和にいて

宿祢さんのウワサを聞いた天皇が、
ちょっと大和に来て當麻蹴速と相撲とってみてよ、と

そしたらまぁ、宿祢さんが勝ちまして
宿祢さんは當麻が持ってた大和の地を与えられ
その後垂仁天皇に仕えることになりました
弱肉強食~~

そうして宿祢さんが大和で暮らすようになったある日

垂仁天皇が、憂いておりました

というのも、垂仁天皇の弟君が亡くなって
古墳を造り埋葬する際
当時の習慣として、陵墓には家臣たちを一緒に埋めていまして

そう、つまり、家臣たちは生き埋め
数日経っても彼らは死ねず、
古墳からは昼夜悲しげな泣き声が聞こえてきて・・・
ついに死んだ後には、犬やカラスが遺体を食い荒らす始末

「これはちょっと見るに耐えん・・・
 何か別の方法はないものか・・・」

と、垂仁天皇。

そこで宿祢さんがよ

「殉死の制度はやめにしましょう!
 生きた人の代わりに、埴土しょくど(粘土のこと)を使って
 人や馬などを作るのです!!」

と提案

母国出雲から土師部はじべ(土師器を製造する人)を
100人呼んできて
そして自ら彼らを率いて埴土からいろんな形の物を作り
天皇に献上しました

「これはグッアイディーア!!!」

と天皇も大いに喜び
天皇の奥さんが亡くなった際には、陵墓に埴輪を埋葬しました

天皇は宿祢さんの功績をほめて、土師職はじのつかさに任命
本姓もとのかばねを改めて
野見さんから土師はじさんになりました

宿祢さん以降、この土師氏一族は
古墳築造のプロ集団と呼ばれるようになります

古墳ってさ
めっちゃでっかいやん?

時と共に、えぐれたり、木々が生えて
形が変わってしまったというのはあるけど
前方後円墳にしろ帆立貝型にしろ、どんな形状であれ
キレイ~~な形に作られてるんですね

試しに砂とか粘土で前方後円墳作ってみたらわかると思いますが
なかなかどうして複雑な形してるのよアレ
上手く形作れない

めっちゃ小規模で作ってもうまくできないのに
あんなにでっかい古墳を左右対称に作り上げる技術
しかも、何の機械もない、古代にですよ

素人が作れと言われて作れるもんじゃない
そこで活躍したのが、土師氏だったのです

ちなみに、古市古墳群のある藤井寺市の道明寺一帯は
土師氏が本拠地にしていたとされ、
「土師の里」と呼ばれているのだとか

堺にも、土師氏集団の集落跡と考えられる、
土師遺跡も発見されているんですって!

と は い え

『記紀』にある宿祢さんが埴輪の創始者という考え方は、
考古学的知見からは史実ではないとされているようです

その理由については、
お偉いさん方は色々見解を述べているそうですが
小難しいのでここでは割愛★

でも、『記紀』なんて国を挙げた一大書物に
掲載されているわけですよ
そんな存在もしないウソだけを書くわけもあるまいて

土師氏が古墳造りに携わっていたのは間違いない事実

野見宿祢さんは、そんな土師一族の英雄的存在として
『記紀』に描かれることで
天皇家の葬送儀礼を土師氏の独占的な仕事として
認めていますよ、という意味が込められていると
考えられるんだとかなんとか
色々お偉い方々は、あっちこっちの方向から
史実を読み解こうとされているようですが

まぁなにはともあれ、野見宿祢さんと土師氏というのは
そういう古墳・埴輪マイスターでした

その後古墳時代は終わりますが
土師一族は宿祢さんから数百年後には
四流に分かれ、近畿地方の各地に広がって生きていました

桓武かんむ天皇の時代に、その一族のうちのひとり
土師古人はじふるひとという人が現在の奈良市菅原町に住んでいたので
菅原に改姓し、以降菅原一族になりまして

この古人さんの3代後が、道真さんになるんですって

宿祢さんも、ムキムキ怪力マンだっただけじゃなく
天皇に助言できるほど頭も良かったお方ですし

土師一族も、精巧に古墳を造り上げる技術を持ってる
天才集団ですし

古人さんも天皇の教師役を務めた学者

道真さんの頭の良さは、DNAなんですねぇ

と、そんな感じで、野見宿祢さんのご紹介でした◎

考古学的な問題はさておき、
思わぬところで埴輪作りの始まりを知れて
わたくしはコーフンしてしまいました(ハァハァ♡

菅原ミッチーのご先祖様が
埴輪の創始者だったとは、ねぇ・・・!

こういう繋がりが、歴史のおもしろいところでございます♡

2021.1.11 姫松なつき

<参考文献>
●Wikipedia(野見宿禰、埴輪)

●藤井寺市ホームページ
 「埴輪の起源説話」
 (https://www.city.fujiidera.lg.jp/rekishikanko/kodaikaranomesseji/shishinosatoomegutte/1387435434687.html

●綾川町立図書館/デジタルアーカイブ
 「滝宮ばやし読本」
 (https://trc-adeac.trc.co.jp/WJ11E0/WJJS06U/3738705200/3738705200100010/ht000050

●兵庫県立歴史博物館
 「ひょうご伝説紀行 相撲の神様、野見宿禰」
 (https://rekihaku.pref.hyogo.lg.jp/digital_museum/legend/story2/

●『仁徳天皇陵と巨大古墳の謎』(監修:水谷千秋)

●『歴代天皇をゆく!』(綜合ムック)

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る