阿倍王子神社 ~大阪に唯一、昔からの地に残る王子神社~
猛暑になる前、6月の半ば頃
ふと思い立って、住吉大社から天王寺までぶらり歩きしてきたんですよ
住吉から天王寺までの間って
阿倍野神社・阿倍王子神社・安倍晴明神社・聖天山古墳・・・と
見どころ満載なんですよ◎
そんなわけで、今回は阿倍王子神社についてご紹介いたします~~
***
大阪は阿倍野にあります、阿部王子神社
(大阪市阿倍野区阿倍野元町9-4)
建てたのは、姫松イチ推しの天皇、仁徳天皇だと伝えられています
ある夜のこと、仁徳さんの夢の中に、熊野の神の使いという三本足の烏が現れて
「阿倍島に熊野大神を祀るのです・・・」
とお告げがあったそうな
(昔の人は色々と神がかった夢をよくみるあるある)
これはどういうことかと調べたところ
阿倍の中州の老松に、
首は雪よりも白く、眼は日よりも明い
夢にも登場した三本足の烏がいるではあ~りませんか
これはまさしく神が現れたのだ!ってなわけで
熊野王子の大宮をお造りになられました
と、神社に伝わる『摂州東成郡阿倍権現縁起』には記されています
またあるいは、この地の豪族であった阿倍氏が建てたともいわれています
この地が古来より「あべの」と呼ばれているのは
飛鳥時代の大化の改新で、36代孝徳天皇が難波の長柄豊崎宮に遷都した折、奈良県の桜井あたりに住んでいた豪族・阿倍氏が、現在の大阪阿倍野らへんに移住してきたことが由来
この時代に、阿倍氏の氏寺として「阿部寺」ができて
氏神としての「阿部社」も祀られたとか
阿部寺は現在の阿倍野区松崎町2丁目に本坊跡が残っているそうですが
うっかりそこはノーチェックでした★(オイ)
阿部寺千軒坊と伝えられるほどのでっかいお寺でしたが
都が飛鳥に戻ると阿倍氏も帰っていってしまい、お寺は四天王寺に併合され、阿倍社は衰退してしまいました
しかし、平安時代になって、この阿倍社を再興した人がいます
誰もが知ってる、弘法大師空海さん!
826年、淳和天皇の勅命で空海さんがこの神社へやってきて、疫難退散の祈祷を執り行ったんですって
それは見事に成功して、疫病を治癒する寺という意味の「痾免寺」(通阿部)と記された額を朝廷から賜り神宮寺を建てたそうです
そしてちょうどその頃、熊野信仰が出だしたんですね
熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を参詣する「熊野詣」
京を起点に淀川を下って天満橋のあたりで陸に上がり
天王寺~堺~岸和田~和歌山~御坊~~と海岸沿いを歩いて行きます
熊野街道と呼ばれるその道沿いに、熊野詣の先達を務めた修験者により、12~13世紀にかけて建てられた九十九王子と呼ばれる神社があります
一社ずつ新しく建てていったわけではなくて、本来、熊野街道の近くに住んでた人たちが在地の神を祀っていた諸社を「王子」と認定
だいたい、その土地の名をつけて「〇〇王子」と呼ばれていました
阿倍社はちょうど四天王寺と住吉大社の中間にあって、王子社の立地にふさわしいということで、西門の筋に熊野街道が整備されて、「阿倍王子神社」と呼ばれるようになりました
ちなみに、九十九とはいいつつも、きっちり99社あるわけではなく、“いっぱいあるで”っていう比喩表現で、実際は100以上あったといわれています
でも、どれもが小さめのお宮だったのもあり、明治時代に近くの神社に合祀されまくり、現代ではほとんどなくなってしまい、「王子跡」の石碑がぽつぽつ残るばかり
和歌山県では十数社残っていますが、大阪府下では阿倍王子神社が唯一、元々の場所に残る王子神社となっています
藤原定家の日記『明月記』の「後鳥羽院熊野御幸紀」には
窪津王子、坂口王子、コウト王子の次に阿倍野王子があると記されていて、本来は第4番めの王子者だったことがわかります
が、2・3番めは中世の戦乱でなくなってしまったらしく、江戸時代からは第二王子と呼ばれています
唯一残った王子神社とはいうものの、明治時代に一度違う社名になったことがあります
明治になって「大江神社」と改称され(天王寺にある大江神社とは関係ない・・・と思います)、明治41年には昔の東区安土町(船場のあたり)に鎮座していた男山八幡神社を合祀して、「大江八幡神社」という名前になりました
昔の本殿は境内に残っています
1682年の建立とされる旧本殿は境内南側にあるのですが、現在は改修中なのか工事の幕で覆われておりました
男山八幡神社は1688年に勧請されて建立された神社で、阿倍野に合祀されたとき、社殿も阿倍王子神社境内に移築され、現在も拝殿東側に現存しています
この、右側の建物の中に、社があります
その写真も撮ってないのですが(あまり内部まで撮影するのはなんとなく憚られたので)
旧本殿と旧男山八幡神社本殿は、ともに重要文化財に指定されていて、『大阪文化財ナビ』のサイトより写真が見られるので、どうぞ見てみてください◎
船場は空襲で焼かれたので、江戸時代の船場の神社本殿の姿を伝える唯一の遺構として、大変貴重なものなのです
ちなみに、改称からわずか3年で「阿倍王子神社」の社号に戻りました
さてさて
こちらが現在の本殿
6月半ばに参ったので、七夕の飾りが吊るされていてちょっとハデ
こちらのご祭神はというと
熊野王子神である伊邪那岐命・伊邪那美命・速素戔嗚命と、男山八幡宮より合祀した八幡神こと応神天皇の4柱になります
先ほどの写真の左側の小さな社は御烏社
熊野大社の神の使いである霊烏、八咫烏大神が祀られています
八咫烏
なんとなくは知ってるけど、改めて考えてみるとよく知らないカラス
毎度ながら、無知★姫松のお勉強におつきあいくださいまし
八咫烏は、熊野大社の神・スサノオのお仕えカラスさん
日本を統一した神武天皇を大和の樫原まで先導した“神武東征”の故事から、“導きの神”として信仰されています
ほーーん(←初耳)
「八咫」とは“大きく広い”という意味であり、太陽の化身です
3本の足があるのですが、これはそれぞれ、“天・地・人”をあらわすといわれています
そうそう、日本のサッカーのマークが八咫烏なんですってね
サッカー全然見ないからそんなことも知らなかったんですけど
「よくボールをゴールに導くように」っていう願いが込められてると考えられてるんだとか
(意外と歴史が古いそうで、ちゃんとした理由はわからないらしい)
↑なんかめっちゃかわいい八咫烏の絵(笑)
八咫烏型のおみくじもあるんですが、それもまたかわいかった・・・
手乗り八咫烏(笑)
ぜひお参りの際は見てみてください◎
神社の入り口は2つ、東と西にございます
こっちは東側
阿倍野筋に面しています
信号の向かいにサーターアンダギー屋さんがあって、思わず買っちゃった♡
あ、姫松のインスタです♡
良かったら見たってください♡(姫松インスタ)
そしてこっちが西側
こっち側に熊野街道が通っていたので、その名残を示す石碑があります
隣のマンションと並ぶほど大きなクスノキがドーン
阿倍王子神社は、末社も有名なのですよ
むしろ、末社の方が有名かもしれない・・・
「あべの」といえばあのお方
それはまた、来週に~~~★
2022.7.17 姫松なつき
〈参考文献〉
●阿倍王子神社ホームページ
●熊野本宮大社ホームページ
「熊野コラム 熊野古道の歴史」
●大阪文化財ナビ
「阿倍王子神社旧本殿・旧男山八幡神社本殿」
●いにしえの都 にっぽんの神社・パワースポット巡礼
「阿倍王子神社」
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