泉佐野市の熊野街道
田んぼの広がる田舎道に
ぽつりとお地蔵さんがいます

(指・・・ウソやろわたし、どんだけ写真下手なん・・・)

お地蔵さんの左側に説明の看板があります

こちら、安松八丁畷(やすまつはっちょうなわて)の石地蔵
といいます
(泉佐野市長滝267)

石造りの祠の中に安置されているお地蔵さん

お顔のところだけ色が白っぽいのは
補修されたからとのこと
目鼻立ちがはっきりしないから
ずいぶん昔に補修されたものなのかしら

お顔以外の全体は、台石も含めて
なんと1363年に作られたもの!

ちょっと・・・わたしには見つけられなかったのですが
向かって右に「正平十八年」の年号が
刻まれているそうです

和泉砂岩という石で作られています
名前からわかる通り
和泉でとれる地元の石
(※白亜紀後期の砂岩層で、
  和泉山脈以外にも、淡路島や讃岐の方にも
  分布しています)

1363年というと、
鎌倉時代と室町時代に挟まれている
南北朝時代ですね

天皇家の分裂で
京都と吉野、二か所に朝廷ができてしまったり
幕府と朝廷の関係もひっちゃかめっちゃか
みんながみんな、
「俺だ俺だ俺だ俺だ俺だ!!!!!」
と自己主張の激しい時代
(南北朝時代を説明すると長くなるので
 こんな説明で失礼★)

そんな時代の
田んぼ広がる泉佐野で
庶民がどんな暮らしをしていたのかは
わかりませんし
このお地蔵さんが作られた理由も
定かではありませんが

やはりお地蔵さんを作ってすがるしかない
世の中だったのかもしれませんね・・・

とはいえここは熊野街道
この道を通る多くの人が、このお地蔵さんに
お参りしたことでしょう

さらに逸話が一つあって

むかーしむかし
いかほど昔かわからないむかーしに
おいはぎにあった大阪のとある人が
このお地蔵さんのところに隠れて
難を逃れたそうで

ありがたや、嗚呼ありがたやお地蔵様
ってなもんで
一層信仰する人が増え
その信者たちが奉納した石燈籠も
崩れてはいますが今も残っています
(右手前のやつですね)

お地蔵さんの左側にある石には
よく見ると「金森大明神」と書いてあるけど
お地蔵さんの名前かしら・・・?
ちょっと、わかりません(汗)

一時民家に移されていたそうですが
大正の初め頃にこの位置に戻されたとのこと

代々続くお寺の仏像が
大切に保存され今日に残っているというだけでも
十分すごいことなのに

700年近くも雨風にさらされ続けた
田舎道の傍らのお地蔵さんが
今でも存在し続けているというのは
すっごいな~~
(語彙力なさすぎか)

地元の人しかほとんど目にしないだろうし
逆に地元の人は毎日見すぎて
気にも留めない人も多いはず

だけど、これから先
何十年何百年後も、この石のお地蔵さんは
この場所に佇んでいるのかもしれない

どうぞ、通りがかった際には
足を止め、手を合わせていってみては
いかがでしょうか

2021.7.19 姫松なつき

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