開口あぐち神社へ参拝して
古墳こんにゃくを買いに泉州庵さんに寄って
堺の山之口商店街を北に抜け
そのまましばらくまっすぐ歩いて行くと
(開口神社のお話はコチラ⇒「開口神社①」「開口神社②」)
(古墳こんにゃくのお話はコチラ⇒「古墳こんにゃく」)

なにやらすごく立派な門構えが

これを見て最初、お寺かな?と思ったのですが
ここは堺の菅原すがわら神社でした!

(堺市堺区戎之町東2-1-38)

上の写真は、神社の南側になります
正面は西側↓

おお、立派・・・!

こちら、ご祭神はいわずもがな
菅原道真すがわらのみちざねでございます!

ミッチーについては、コチラの記事に詳しく書いてるので
よければお読みくださいませ♪
(⇒「菅原道真といふ人~怨霊のち神様~」)

道真さんの他に、天穂日命あめのほひのみこと野見宿祢のみのすくねの2柱も
合祀されています

天穂日命は農業・養蚕・木綿の神さん
野見宿祢は相撲の神さん

ふむ・・・
どちらも初めて聞くお名前なのでまた調べるとして
ここでは菅原神社の創建と歴史についてお話させてください~~

***

今から1000年以上昔のこと
堺の浜に、一体の木像が流れつきました

これはどうやら
太宰府へ配流された道真公が自ら作り
海へ放された七天神の一つではないか!?!?と
(そう伝えられています)

しばらくは付近の住人によって大切に祀られていましたが
この地の氏神であった、天台宗威徳山天神常楽寺てんだいしゅういとくざんてんじんじょうらくじの坊さんが
997年に、この像を祀る天神社を創建したことが
始まりとされています

道真さんが亡くなったのは903年なので
菅原神社の創建はミッチーの死後90年以上後のこと

よくぞ九州から大阪湾まで流れ着いたものですね~~

ちなみに997年頃は、京では藤原のミッチーこと藤原道長が
ブイブイいわせはじめてた頃です◎
(ミッチーミッチーややこしいわ)

1532年、この辺りで大規模な火事があり
天神社はほとんどが燃えてしまいます
でも、その約40年後には、敷地と規模を拡大して再建

やれやれと安心したのも束の間
今度は、大坂の陣で火をつけられて焼失
それでも、1653年には再建

天神社は堺の町になくてはならない存在だったのでしょう

しかしながら、明治時代に突入し、
天神社ももれなく神仏分離の対象になり
境内にあった仏教関係は廃絶し、
菅原神社と名称を改められました

そして第二次世界大戦が勃発
戦火によりまたしてもほとんどの建物や宝物が焼失してしまいました

しかし、その中でもかろうじて残ったのがこちら

正面の鳥居の奥にある楼門、随身門ずいしんもん

 (境内側から撮影)

こちら、1652年に建てられたものですって!
大阪府指定有形文化財に登録されています
ちょっとわたしには建築のウンチクは話せませんが
大阪府下では数少ない楼門建築として
大変貴重なものだそうですよ~~◎

この、門の左右に飾られているもの

木の幹。

って、いや、そこらへんの木の幹ではなく(そらな)

小西行長こにしゆきながという戦国時代の堺の武将
のちにキリシタン大名となった方が
朝鮮半島から持ち帰ってきたらしい「傘松の幹」です

いや・・・
だからといって
わたしにはその貴重さもありがたみもよくわからないのですが←

戦争の後はもちろん三度再建され、現在に至ります◎

ところで

明治の神仏分離の際に、近隣の神社を整備して
明治40~41年にいくつかの神社が
菅原神社境内に移されたのですが

その内の一つ、薬祖やくそ神社
日本最古の薬祖神社といわれているそうです!

ご祭神は少彦名命すくなひこなのみこと神農大神しんのうおおかみ

少彦名命は医薬と酒造の神さんで
生根神社の神さんでもありますね!
(生根神社のお話はコチラ
 ⇒「生根神社~お酒の神様と神功皇后の話~」)

神農大神というのは、医薬の基礎を作った古代中国の伝説上王

この神社の創建は室町時代の1397年
明(中国ね)より得た神農の神像が、
堺の神明町にあった薬問屋にさずけられ
それをお祀りしたのが始まりとされています

近年ではガン封じの祈願所になっています
(去年父がガンで亡くなったのだけど
 もっと早く知ってたらなぁ・・・)

もう一つ、堺戎さかいえびす神社があります
南大阪随一の「えべっさん」と呼ばれているそう

ご祭神は事代主命ことしろぬしのみこと
っていうと、誰??と思いますが
この神さんこそ、七福神の一人である“えべっさん”です
豊漁・豊作・商売繁盛!!

江戸時代前期、1664年のこと
現在の戎島町付近に、突然島が出現

(いったいどういう状況なのでしょうかね・・・汗)

そして1666年には、戎島の海中から石像が発見され
それをお祀りするようになったのが創建のいわれです

ハイ、というわけで

本殿以外にも歴史建造物がたっぷりの菅原神社・・・

本殿のお写真を載せていませんでした

随身門の前の鳥居の、すぐ北隣にも鳥居があって
その正面にあるのが本殿です

わたし、南から入ってさ
次に随身門見つけて、おお立派やなぁ!って思ってさ

随身門からまっすぐ行くと、薬祖神社があるもんだから
ここが本殿かな??って思ったんだけど
いや違うよな・・・本殿はきっともっと大きいよな・・・
と思って目についたのがえべっさんの社でさ

どこにも“菅原神社”の名前がないから、
あれぇあれぇ??言いながらめっちゃ本殿探したんですよね←

いいですか皆さん
本殿はコレ↑↑
わりと素朴な造りです・・・

随身門に気を取られすぎず、
その隣の鳥居から入ると、すぐに本殿にたどり着けますからねー!!

2021.1.8 姫松なつき

〈参考文献〉
●Wikipedia(堺菅原神社、薬祖神社)

●菅原神社ホームページ
 (http://www.sakaitenjin.or.jp/index.html

●堺観光ガイド
 「菅原神社」
 (https://www.sakai-tcb.or.jp/about-sakai/eetoko/12_9.html

●『堺を歩けば。』
 (編者:「堺を歩けば。」制作委員会)

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