去年の暮れごろに行ってまいりました!
少彦名すくなひこな神社~~◎

(大阪市中央区道修町2-1-8)

紀州街道を歩いた時に寄り道しました♪
紀州街道は北浜と天満橋の間くらいにある高麗橋こうらいばしがスタート
そこから堺筋をひたすら南下していくので
スタートから速攻寄り道したことになります(笑)

ここでねぇ・・・
失態したんですよ・・・

無一文で参拝しちゃったんです・・・(汗)

堺筋で銀行に寄る予定もあったので
ついでにお金下ろそう♪って思って
なんでか財布の小銭もキレイさっぱり抜き出してから
家出発したんですねぇ・・・

スタート早々の寄り道だったから銀行に寄れてないし
さらにコンビニ寄り道する時間はないしで

無一文参拝してきました申し訳ありません・・・・・・

ハイ

少彦名神社は、その名の通り少彦名命すくなひこなのみことをご祭神とする神社です

あと、神農炎帝しんのうえんていという中国の神さんも合祀されています

この2柱はどちらも“医薬の神”

少彦名命は以前、生根神社の記事でも紹介した通り
(「生根神社~お酒の神様と神功皇后の話~」)
国造りの協力神であり常世の神であり
医薬の他にも温泉・穀物・知識・酒造・石の神・・・
と、様々な肩書をお持ちでいらっしゃるのですが
道修町どしょうまちの少彦名神社においては、医薬の神としてお祀りされています

神農炎帝は、鋤を使って草を刈り土を耕し
これを民衆に教えたとされているので、農耕の神とも言われています

神農炎帝の画像を検索するとね
ほぼほぼこういう図なんですよ↓

少彦名神社で売られている御神絵もこんな感じなんですが

・・・なんか食べてる?

神農炎帝は薬草の神とされていて
頭は牛で体は人
(頭が牛になってる絵は見かけなかったけど、
 どの絵も頭にコブがあるようでした)
内臓が常に透けて見えているので、薬草を舐めたときに
内臓の状態を目視して薬草の効能を見極めていた
という伝承があるそうです

・・・お、おおん・・・超人・・・(神や)

ありとあらゆる薬草をすべて自分の体で試したので
一日に70もの毒に当たったとかなんとか・・・ひぇぇ

ところで、少彦名神社のある道修町という場所ですが
江戸時代から薬種問屋が軒を連ねていたという
ドラッグロードなんですね(言い方やめぃ)
1722年には、なんと124軒もの薬屋さんがあったそう!

堺筋から三休橋筋の間の道修町通りに、少彦名神社はあります
この通りは「道修町ミュージアムストリート」とも呼ばれていて
300メートルほどの通りで、医薬品に関する展示施設が4軒もあります
また、現在でも多くの製薬会社の本支店があります

そんな場所にある少彦名神社は
1780年に京都の五条天神から少彦名命の分霊を勧請し
薬屋団体の会所になっていた現地にお祀りしたのが始まりとされています
(神農炎帝はその前から会所にお祀りされていました)

なんで神農さん祀ってたのに途中から少彦名命も?
しかもなんで京都の五条天神社から分霊?
と思いますね

いや、1柱より2柱の方がパワーありそうやし
っていうたらそれまでですが(笑)

諸説ありますが
やはり元々は大陸の方がいろんな薬(漢方)があったから
中国の薬の神さん祀ってたけれど
ちょうどこの頃から日本産の薬もかなり盛んになってきていたから
和漢どっちの薬もさらに発展するように、と
日本の薬の神さんも祀ったのだそう

また、それまでは伊勢神宮まで参拝しに行っていたところ
だんだん大層になってきたから、朝廷の崇拝もあつく
由緒ある神社である五条天神社からの分霊をお迎えしたのだとか

なにはともあれ
人の生命にかかわるお薬ですから
新たな神さんもお迎えして
神のご加護のもとに間違いなく取り扱えるように、と願ったのでしょう

しかし2柱を祀っていた会所は
1837年の大塩平八郎の乱による兵火で焼失してしまったので
1840年に会所の庭に小さな社を新たに建てて、祭神を遷座しました

明治時代、1906年には政府の神社合祀政策なるものがあり
他社に合祀or独立する、という選択が迫られたそうですが
独立の道を選び、1910年には境内を拡張&社殿を新築されました

境内を拡張・・・とはいえ
その所在地の現在は超オフィス街
ビルが建ち並ぶ隙間にひっそりと入り口が見えました

ビルとビルの隙間に、すんごい立派な木が見える・・・
まるで異界への入り口

写真左側の建物が「くすりの道修町資料館」という
ミュージアムの1つなのですが
感染防止対策のために閉館しておりました
(今のところ、3月末まで閉館予定だそうです)

ビルとビルの間を参道と言えばいいのでしょうか
ここには、見たことある有名な製薬会社の
いろんな薬のパッケージが展示されていました↓

奉納された提灯には、かつての同級生の就職先の名前が見えます
みんな元気かい~~~
(歴史ライター姫松、学生時代の専攻は化学でした★)

この日は平日でしたが
スーツ姿のサラリーマンがわりと参拝にいらっしゃってました
やはり製薬会社の方々なのかしら

そんな中、一文無しの女は頭を下げてご挨拶だけして
恐縮しながら本殿をパシャリ

あー、来年の干支を飾って準備してはるわ~

って思ったんですが
少彦名神社では、張子の虎が名物アイテムの1つなんですね

1822年、大坂で疫病(コレラ)が流行したときに
道修町では「虎頭殺鬼雄黄圓ことうさっきおうえん」という疫病除けの薬を作り
少彦名神社の神前で祈祷して罹患者に施したのですが
その際に「張子の虎」を厄除けのお守りとして授与しました
この薬がよく効いたので、張子の虎のお守りは現在でも、
家内安全・無病息災のお守りとして知られているのです

わたし知らんかったけど←

「虎頭殺鬼雄黄圓」、字面だけしてもどえらい名前ですが
鬼も避けると言われる虎の頭の骨が配合されているそうです・・・
す、すごい(汗)

ちなみに、本殿に吊られているトラですが
少彦名神社のインスタを見てみると
どうやらこれは行灯になっていて
新年を迎えるにあたっての寅の日に
宮司さんの思案によって取り付けられたそうです~~
2月現在でもトラ行灯が光っている写真があったので
寅年のこの一年はずっと吊られてるのかしらどうかしら

通念を通して、張子の虎のおまもりやストラップが
販売されているのですが
11月22・23日に行われる「神農祭」という例祭では
五葉笹につけた張子の虎が授与されます

五葉笹というのは、枝分かれせずに伏しから5枚の葉が出た笹で
大変縁起が良いものといわれています

「神農祭」は大阪を代表するお祭りのひとつ

大阪の祭は今宮戎神社の「十日戎」に始まって
少彦名神社の「神農祭」で終わるため
「神農祭」は「止めまつり」とも呼ばれているそうです

いやぁ、大阪市内のことでも
まだまだ全然知らないことがたくさんありますね・・・
(わたしが知らなさすぎなだけ・・・?)

最近はコロナを恐れて人の多い所を避けているので
なかなか都会へは行けないのですが
また今度、次はちゃんとお賽銭握りしめて
お参りに行きたいと思います(汗)

コロナが早く収まりますように
少彦名命にお祈りしたいと思いますーーー!

2022.3.6 姫松なつき

 

〈参考文献〉
●Wikipedia(少彦名神社)

●少彦名神社ホームページ
http://www.sinnosan.jp/index.html

●少彦名神社インスタグラム
https://www.instagram.com/sinnosan/?hl=ja

●LINK-J
「日本橋コラム 西の「くすり街」大阪道修町で信仰を集める少彦名神社」
https://www.link-j.org/interview/post-3166.html

●まいぷれ まいど!中央区
「少彦名神社」
https://chuo-osaka.mypl.net/article/jisha-bukkaku_chuo-osaka/5087

●池田市の鍼灸 南天
 「鍼灸の歴史 紀元前 砭石から黄帝内経成立~建安の三名医まで」
http://shinkyu.pro/blog/2014/11/03/%E9%8D%BC%E7%81%B8%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%81%9D%E3%81%AE%EF%BC%91%E3%80%80%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8A%E3%80%80%E7%B4%80%E5%85%83%E5%89%8D/

関連記事

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

ページ上部へ戻る