船待神社② ~摂社末社のご紹介~
堺・湊の天神さんといわれる船待神社
前回は、神社の歴史とお尻な話をお届けしました♡(←言い方)
(「船待神社~堺・湊の天神さん~」をご覧ください♡)
今回は、船待神社の摂社末社についてご紹介したいと思います♪
***
まずは「かさがみさん」と呼ばれる瘡神社!
元々は湊村中筋に鎮座されていたのを
明治40年に船待神社へ移し合祀されたそうです
この社殿は、平成3年に新しく造営されたもの
この神社、なかなかどうして古い歴史のある神社で
創建は、第30代敏達天皇の時代といわれています
敏達天皇というと、かの有名な聖徳太子の、叔父さんにあたるお方
つまり6世紀半頃のお話になります
589年、国内で何かしらの“できもの”が流行し
多くの死者が出ました
その病にかかると、身を焼かれ打たれるように苦しみ、
そして死んでいったそうです
なんとかしてこの流行り病を抑えようと
当時の村民が協議した結果
医薬の祖神である少彦名命をお祀りすることに
そして神前に祈願をしたところ
霊験あらたかにして、その病を負う人はたちまち平癒したといいます
少彦名命さま・・・!
コロナを・・・!
令和の世の、コロナウイルスもやっつけてください・・・!!!
瘡神社の右側には、三宝荒神社と役行者の2社が
祀られています
三宝荒神は竈の神さん
役行者は飛鳥時代の呪術者
安倍晴明で有名な陰陽道の先駆け的存在ですね
山へ登って修行することで悟りを得るという、
日本独自の山岳信仰を始めた人物
日本の仏教において、山の中で修行するスタイルは
役行者の修験道が元なのです
というわけで、あちこちの寺院に祀られてたりするわけですが
なぜ船待神社にいらっしゃるのかはわかりません
(わからんのかい)
次!!
不動明王&水掛不動明王!!
なんで2つのお不動さんがいるんでしょうね?
一方は水掛けないで、一方は水掛けて・・・
真ん中の柱に
「導師 犬鳴山修験道」
という文字が書かれています
犬鳴山て、滝修行とかで有名よね
そして、「修験道」の文字
おやおや、役行者が祀られてるのと縁があるのかしら
明治の神仏分離までは神宮寺があったようなので
そのお寺のなごりかもしれませんね
境内で草むしりしてたおじさん・・・
また会えたら聞いてみよう
まだまだあります!
この中には、住吉大神や春日大神など
有名どころな神さんが総勢11柱祀られております
その中には少彦名命の名前もあってですね
「コロナに負けるな。
少彦名大神(スクナビコ)」
と書かれています
ほんまやで、頼むでスクナビコさん
こちらの少彦名命については
1822年に大阪でコレラが流行した際に
鎮静祈願がなされたそうです
ね・・・
人類はこれまで色んな流行り病にやられながらも
神さんパワーとサイエンスで乗り越えてきたんだもの
きっとコロナもじきに終息すると祈って・・・
次!!!
豊倉稲荷大明神!!
お稲荷さんです(見ればわかる)
創建や由来等は不明です
右にある樟の大樹の下に祀ってあったそうですが
老朽化したのため昭和55年に新築されたそう
鳥居にいたっては、さらに最近新しく奉納されたのかしら
神社のパンフレットに載っている写真と様子が違うの
一般的にお稲荷さんといえば、いくつも並んだ朱色の鳥居が印象的
ここの鳥居はまだ木の色のままだから
そのうち朱色に塗られるのかしら?
と、いうわけで
以上が船待神社のご紹介でした♪
そうそう
9月に行われる秋季例大祭では
堺の有名なお祭りであるふとん太鼓の奉納が見られるそうです
有名な、って言いながら
わたしは最近まで知らなかったんですけども←
ふとん太鼓というのは
ふとんを積み上げたようなでっかいお神輿みたいな・・・もの
また、各地のお祭りなんかも調べても面白そうですね♪
2021.1.13 姫松なつき
〈参考文献〉
●Wikipedia(敏達天皇)
●神社巡遊録
「船待神社」
(https://jun-yu-roku.com/izumi-otori-minato-funamachi/)
●船待神社 略記(神社パンフレット)
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