ハーイはいはい!
埴輪なつきだよぉ(ねっとり)

あいにく、なかなかお出かけできず
古墳ネタは枯渇してるのですが

定期的に天皇家のあれやこれやを
話したくなる病にかかってるもので
(そんな病気聞いたことない)

どうぞおつきあいくださいませ!
今回は、みんな大好きドロドロ恋愛モノですよ

ドゥフフ♡笑

***

仁徳(にんとく)さんの、民目線のよい政治から
しばらくはずっと、穏やか~な治世が続いていました

もちろん、仁徳さんがお父さんである応神(おうじん)さんから
皇位を継承したときや
仁徳さんから息子の履中(りちゅう)さんへの
皇位継承のときには
兄弟間のいざこざで死人が出たり
血なまぐさいことは多少なりありましたが

履中さんから弟の反正(はんぜい)さん
さらに弟の允恭(いんぎょう)さんへは
ぼちぼち平和に皇位は継がれておりました

しかし、允恭さんの時代に、大スキャンダルが起き
その後、短期間の間に血みどろ事件が起こります

そりゃあもう、ズッタズタに
片っ端から死んでいくのですが←

その血みどろストーリーの前に
『記紀』(『古事記』と『日本書紀』)最大の
スキャンダルをお話したいと思います

允恭さんは、長男である木梨軽皇子(きなしのかるのみこ)を
時期天皇にと指名していて
木梨軽皇子は皇太子となっておりました

とある夏の日の食事タイム
允恭さんがアツアツの汁物を食べようとすると
なんとまぁ、凍ってるではありませんか

ややっ、これは怪しい
占ってもらおう、と

当時は今よりはるかに近親相姦があって
異母間であれば婚姻も認められていたそうですが
さすがに同母兄妹はアウト

この禁忌を犯したのは
皇太子である木梨軽皇子だったのです
惚れた相手は同母妹

彼女の名前は軽大娘皇女(かるのおおいらひめ)
またの名を「衣通姫(そとおりひめ)」と
呼ばれていました

「衣通姫」
意味は、“美しさが衣をも通り抜けているよう”

そう、允恭天皇がメロメロになってしまった
奥さんの妹と同じくらい
軽大娘皇女もめちゃくちゃに美人だったようです
(允恭さんが惚れた女の話はコチラ↓
 「允恭天皇」)

許されぬ恋をした皇子は
群臣からの支持を失ってしまいまい

「兄君はイカれちまった・・・
 時期天皇には、ぜひ弟君である穴穂皇子(あなほのみこ)に!」

という流れになりました

しかし木梨軽皇子、皇位への執着はあったようで
父である允恭天皇が亡くなると
兵を集めて弟を殺してしまおうとします

けれども穴穂皇子はすかさず反撃に出て
木梨軽皇子は伊予(愛媛県)へと
流されることになりました

木梨軽皇子はいくつかの熱烈な歌を残しています

 笹葉(ささば)に 打つや霰(あられ)の たしだしに
 率(い)寝てむ後は 人は離(か)ゆとも

 愛(うるわ)しと さ寝しさ寝てば 刈薦(かりこも)の
 乱れば乱れ さ寝しさ寝てば

意味は

「笹の葉にあたる霰の音のように
 確かに一緒に寝ることができたなら
 まわりの人たちが離れていっても
 かまうものか」

「愛しい人と寝られるのなら
 刈り取った薦草がばらばらになるように
 人々が離れていくなら離れていけばいい」

フゥッ↑↑
禁断の愛って漢字の歌ですねぇっ!

皇子は伊予へ流されるとなったとき
衣通姫に
「必ず戻ってくるから待っててくれ」と
言ったのですが

待てど暮らせど
兄は帰ってこない

そして妹も歌を詠みます

 君が行き 気長(かねが)くなりぬ やまたづの
 迎えは行かむ 待つには待たじ

「あなたが行ってしまって、もうずいぶん経ったわ
 もう待ってられない
 帰ってこられないなら、私が行くわ」

あああああ愛・・・

軽大娘皇女は、追手の手を逃れ伊予へ

人目を避けて、ついに愛しい恋人に
会えたのだけど

もはやこの二人は、逢うことが罪

この世では結ばれぬ愛であるがため
二人は共にこの世を去りました

***

やーーードラマですねぇぇぇ
おばちゃんドキドキするわ・・・!

ちなみに、この結末は『古事記』のものです
いわゆ「衣通姫伝説」と呼ばれていて
愛媛県には、二人を祀る軽之(かるの)神社があり
その近くには、愛し合った兄妹の
比翼(ひよく)塚」があるそうです
(比翼塚とは、愛し合って死んだ男女や
 仲のよかった夫婦を一緒に葬った塚)

愛媛かぁ・・・なかなか行けないけど
いつか訪れたい場所だなぁ

『日本書紀』だと結末は少し違って
皇太子を流刑するわけにはいかないため
軽大娘皇女を伊予へ流刑、
允恭さんが崩御した年に、
木梨軽皇子は穴穂皇子に討たれたとなっています

うん、ドラマ性に欠けるわね

さて
こうして允恭さんの長男 木梨軽皇子が亡くなり
穴穂皇子が天皇へとなります

安康(あんこう)天皇

ですが、安康天皇と
それからの血みどろストーリーは
また、そのうちに★

 

2021.7.15 埴輪なつき

参考文献:Wikipedia(木梨軽皇子)

     「比翼塚の話(軽皇子と軽皇女)」
     (http://home.e-catv.ne.jp/naka/mukasi-hanasi/densetu/karutaisi-hiyoku-tuka/karutaisi-hiyoku-zuka.htm

     やまとうた「木梨軽太子」
     (https://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kinasi.html

     日本神話・神社まとめ
     「允恭天皇(十八)親々相姧のために娘皇女は伊予へ」
     (https://nihonsinwa.com/page/1417.html

     『百舌鳥・古市古墳群ガイド』(発行者:宗形康)

     『歴代天皇をゆく!』(綜合ムック)

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