大依羅神社 ~住吉大社より古い、住吉区の神社~
最近自転車買い替えたんですよぉ♡
10年以上乗った、薄汚れてキリキリいう自転車をサヨナラして
モカベージュのおしゃんな自転車を買って
ウキウキしながら寺社巡りにいってきました!
大依羅神社~~~!
(大阪市住吉区庭井2-18-16)
阪南高校のすぐ隣にあります
・・・昔、友達が阪南通ってたから
文化祭とかで行ったことあるのに
そこに神社あるなんてぜんっっっっぜん知らんかった・・・
御朱印をいただいた際に、神主さんと少しお話させていただいたんですが
「案外ね・・・地元の人にも知られていないんですよ・・・」
とのこと
「お祓い関係では以前から知る人ぞ知る神社だったんですけど
今まであんまり宣伝も何もしてきませんでしたからね・・・
で、最近ちょっとインスタ始めてみたんです
自分で写真撮って、今日もこれから投稿するんですけどね
インスタされてます?あ、されてる
ぜひ見てみてください、ええ、今、フォローして」
宮司さんの圧しゅごい(笑)
あ、大依羅神社のインスタはこちらになります↓
@ooyosami
(https://www.instagram.com/ooyosami/)
普通のアイフォンで撮影されてるそうなんですが
カメラセンスが良くて美しい写真ばかり!
いい光の差し込み具合が狙えるのは、
宮司さんの特権ですよね~(笑)
わたしが行ったときは安定の曇り空でした・・・
なんか最近、天候に恵まれない・・・
「インスタ始めてから、参拝のお客さん増えましてね
すごかったのは今年の正月
例年の3~4倍いらっしゃって
あってはならないことなんですが
お守りが売り切れちゃって(笑)」
すごい・・・!
あ
わたしもインスタやってるんですよ
フォローしてください、今、すぐ(圧)
@himenatt77
(https://www.instagram.com/himenatt77/)
さて
神主さんのカメラセンスにより認知度が上がってきました
こちらの神社ですが
歴史としては、近くにある認知度トップレベルの住吉大社と比べても
さらに古い神社でございます
住吉さんが211年創建と言われてるので
1800年以上の歴史があるのですが
それ以上!!!
『古事記』・『日本書紀』・『三代実録』・『延喜式』など
そうそうたる古の書物にその名が刻まれている古社!
本日はそんな大依羅神社の歴史をご紹介したいと思います~~
***
正確な創建年月は不詳です
なんてったって、古すぎて
それはもう、むかーしむかしからあるのです
関西で最も古い歴史のある神社の一つ
なんて聞くと、ゾクゾクしてきますね・・・!
大依羅神社の名前の「依羅」は
古代、我が国にとって大変重要な地であったこの場所の名前です
平安時代中期に記された『和名抄』という辞書には
「摂津国住吉郡(大依羅神社付近)に大依羅郷」
「河内国丹比郡(松原市北西部に依羅郷」
の文字があり、その一帯の地名だったとされています
天皇料地として、一番古い記録では
『日本書紀』の崇神天皇のページに
「依網池を掘った」という記録があります
(※依羅=依網)
崇神天皇って、10代目よ・・・
紀元前の話よ・・・!?
灌漑用に利用された依網池
なんと約1平方キロメートルにもおよぶでかさだったそう・・・!
古墳もそうやけど
昔の人がどうやってそんな大きなもの作れるのか
不思議よね・・・
日本最古級の池なのですが
残念ながら、もうその姿はありません
江戸時代の大和川付け替え工事で縮小し
戦後の市街地化により完全になくなってしまいました
幻の池・・・
そんな天皇御用達の池があった地にできた
大依羅神社の始まりはというと
当時この地には豪族の依羅吾彦一族が住んでいて
(吾彦はファーストネームではなく、姓の1つ)
その祖先である9代開化天皇の第四皇子
「建豊波豆羅和気王」をお祀りしたのが
起源とされています
池作りなさいよって言った崇神天皇は開化天皇の第二皇子なので
依羅一族の祖は崇神天皇の弟・・・
崇神天皇っていうのは、古代史的にかなり重要視されてる天皇なんですよ
「神」の字が入る天皇っていうと
初代神武天皇と、崇神天皇、そして15代応神天皇だけなので
重要な天皇じゃないか、という点で注目されていたり
はたまた、神武天皇と同じ
「はつくにしらす(初めて国をつくったという意味)」と読める
名前の紹介がされているとかで
実は神武天皇と同一人物なんじゃないの?
などと研究されてるとかなんとか
(詳しく知りたい人は各々調べてみてね★)
大依羅神社の祭神はその弟だったとしても
まぁなんだ
なんかスゴイ一族が住んでたスゴイ土地にできた
スゴイ古い神社だということはおわかりいただけましたね?
(語彙力が底辺)
ご祭神は建豊波豆羅和気王の他に
住吉三神である底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命も
祀られています
住吉の神と関係が深いといえばこの方
神功皇后!
14代仲哀天皇の奥さんで
神のお告げを無視して死んだ旦那に代わって
神のお告げの通りにして三韓征伐をした偉大な人
このお告げをくれたのが住吉三神で
神功皇后は戦いの勝利と航海の無事を祈って神にお祈りする際
その祭主を任じたのが
大依羅神社をつくった依羅男垂見だと
『日本書紀』に記されています
(ちょっとイラストふざけすぎましたね・・・笑)
そう、だから大依羅神社にとっても
所縁の深い神さんなんですね!
さらに、
大巳貴命(またの名を大国主命。国造りの神)、
月讀命(暦に関係の深い神。潮の干満や航海安全の神でも)、
11代垂仁天皇(崇神天皇の第三皇子)、
五十猛命(スサノオの子。林業、造船、航海安全etcの神)
の4柱も祀られていますが
理由まではわかりません・・
さらに、明治40年に近隣の神社を合祀したので
プラス8柱祀られています
草津大歳神社より、草津大歳大神
奴能太比売神社より、奴能太比売大神
八坂神社より、奇稲田媛大神と素戔嗚尊
山之内神社より、八柱御子大神と素戔嗚尊
大山咋神社より、大山咋大神
我孫子神社より、建速須佐男大神
(建速須佐男大神はスサノオノミコトの『古事記』表記)
・・・多い(汗)
(こちらが本殿。ここに16柱の神々が・・・ぎゅうぎゅう)
というか、合祀されていなかったら
この辺には6社もあったのかぁ・・・
このうち、草津大歳神社と奴能太比売神社は
式内社だったそうです!
式内社というのは
平安時代に記された『延喜式』という書物の神社一覧に
載っている神社のこと
つまり、平安時代以前からある超古い神社ということ
歴史ある神社が2社も失われてしまったのかという
残念な気持ちと
歴史ある神社を2社も吸収してしまう
大依羅神社のすごさよ・・・!
大依羅神社の地位の高さは各種書物にも残っていて
『延喜式』には、天皇即位儀礼「八十島祭」に
住吉大社などとともに幣帛を受けていたとのこと
(幣帛とは、神への供物のこと)
他にも、朝廷がらみの大きな祭事の際に
大依羅神社の名が連なっていたそうですから
いかに重要なポジションだったかがわかりますね・・・!
しかし、南北朝時代になると依羅氏は滅んでしまい
それとともに大依羅神社の勢いも衰え
神社の諸々は、神宮寺であった大聖観音寺がメインで行うように
住吉大社の援助でなんとか存続していたといわれています
江戸時代には火災にもあい
社殿や古文書なども失われてしまったそう
なんという盛者必衰・・・
昭和44年にも火災がおきて
本殿・幣殿・拝殿が全焼してしまったそうです
けれども、その都度周辺住民の篤い崇敬により復興してきました
そして今
神主さんのインスタ活動により再び立ち上がる・・・ッ!(笑)
神主さんの写真技術には到底及ばないものの
わたしも境内の写真を撮ってきたのですが
少々長くなったので、また次回★
ところで、令和3年で社殿再建より満50年
ぱっと見わりと新しい雰囲気の社殿だなと思ったのですが
半世紀も経つと傷みが出てきたようで
特に摂社・末社にはかなりの損傷もある模様
そこで、「令和の大造営」として
大規模造営事業を実施することなったそうです!
令和3年の冬から奉賛の募集を開始されております
50万円以上奉賛すると
石柱に名前を刻んでもらえるそうですよ・・・
わたしにゃあムリだ・・・(笑)
これから先、令和のその先までも
大依羅神社の歴史が続いていきますように
わたしは・・・
またお賽銭投げに参ります・・・(笑)
2022.3.13 姫松なつき
〈参考文献〉
●大依羅神社ホームページ
(https://yosami-jinja.com/)
●いにしえの都 にっぽんの神社・パワースポット巡礼
「大依羅神社|名神大社|水の気配があふれる浄化のパワースポット」
(https://spiritualjapan.net/12565/)
●神社巡遊録
「大依羅神社」
(https://jun-yu-roku.com/settsu-sumiyoshi-niwai-oyosami/)
●大阪市ホームページ
「大依羅神社・依網池跡」
(https://www.city.osaka.lg.jp/kensetsu/page/0000009397.html)
●大阪あそ歩
「日本最古の溜池・依網池と大和川」
(https://www.osaka-asobo.jp/course/pdf/m/download/i/27)
●『歴代天皇をゆく!』
(綜合ムック)
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