堺の山之口商店街を南に抜けると
異国感のある木が中央分離帯にずらずらと並ぶ大通りに出ます

この道は大阪中央環状線なのですが
山之口商店街付近を中心に東西に約2kmにわたり
フェニックスという亜熱帯植物が植えられていて
フェニックス通り”と言われています

なんで堺に火の鳥の名前の道があるねん
とずっと思ってたのですが
そもそも木の名前だったんですよね

でもなんでまた、そんな南国の木が堺に・・・
と新たな疑問が浮かぶわけですが
これは、戦後復興のシンボルとして植えられたという
歴史があるんですって

うんまぁ
ありがちなイチョウなんかを植えるより
明るい気持ちになる・・・か?

さて

商店街を抜けてフェニックス通りに出ますと
亜熱帯の木に並んで、
中央分離帯に、なかなか大きな灯籠があります

わたし、住吉大社のおひざ元で育ってきたので
石灯籠が珍しくないんですよ
住吉大社内だけじゃなく、住吉公園の中にはいっぱい並んでるから
子どもの頃は登ったり腰掛けたりして
もはや遊具かオブジェみたいな認識で

でも、よその方からしたら住吉さんの灯籠は
数も大きさも圧巻だという話を聞いてから
ハハァそんな価値のあるものだったのか、と知り
(無知って恐ろしいですね、すいません 汗)

そして改めてフェニックス通りの灯籠を見て思ったんです

ここのもなかなか大きな灯籠やけど
なんでまたこんな道路の真ん中に灯籠・・・?と

山之口商店街は開口あぐち神社の表参道なので
この灯籠は開口神社のものなのか
開口神社のさらに北には、堺の天神さんこと
菅原神社もあるから
神社の多い土地柄でたまたまここに灯籠を残したのか

チッチッチ
ノンノンノン

この灯籠も、住吉さんに奉納されたものなのです!

・・・住吉大社まで数キロは離れてるのに?
と思うでしょう

住吉大社と堺のこの場所の間には
大きな大和川だって流れてるのに、って

しかし、むかーしむかしは
そこに大和川はなかったのです!!

元々は、奈良の方から流れてきた大和川は
上町台地の東側を北に流れていって
淀川と合流して大阪湾へとつながってたので
江戸時代に大和川の付け替え工事が行われるまで、
住吉と堺は陸続きだったのです

それにしたって、そこそこ離れてるで
と思いますよね
(地図で見たら、5キロくらい離れています)

商店街を南に抜けた場所は宿院しゅくいんという地名で
商店街から道路を挟んで南側に
宿院頓宮しゅくいんとんぐうという神社があるのですが

(堺市堺区宿院町東2-1-6)

これが、住吉大社の御旅所おたびしょなのです!

御旅所というのは、神社のお祭りの際に
神輿を休憩させる場所のことです

住吉大社を創建したのは
三韓討伐したことで有名な神功じんぐう皇后です

住吉大神のお告げを受けて、見事挑戦を討伐した神功皇后は
帰国後、住吉の地に住吉大神をお祀りしたわけですが

朝鮮から堺の浜に帰ってきた際
一晩休んだのが、宿院頓宮のある場所だったんですって

住吉大社の夏祭りでは
お神輿をこの宿院頓宮へ運ぶ「御渡り」という行事があります

そんなわけですから
5キロ離れていようとも、堺の宿院と住吉大社は
大変密な関係があるんですねぇ

さらに、古くは、堺のこのあたりの土地にあった荘園は
住吉大社の社領だったそうです
また、開口神社は「住吉の奥の院」とも呼ばれていたのですが
この開口神社境内に建てられていた念仏寺のお賽銭は
室町時代に至るまでは、住吉さんの収入だったんですって・・・!
(開口神社については
 「開口神社①」「開口神社②」をご覧ください♪)

さすが住吉大社・・・
がっぽがっぽ儲けてるやん・・・(笑)

宿院頓宮がいつ創建されたのかは年代は不明とのことですが
住吉大社の創建は211年という古さなので
御旅所である宿院頓宮も、なかなかに古いのではないでしょうか

                   /本殿\

ところで

宿院頓宮は住吉大社の御旅所ですが
もうひとつ、大鳥おおとり大社の御旅所でもあります
1つの御旅所に2つの大社がっていうのは
なかなか珍しい例だそうですよ

大鳥大社は堺市西区にある神社ですが
その御旅所になったのは、明治8年のこと

大昔から住吉さんだけの御旅所だったのが
なぜ明治になって突然、大鳥大社の御旅所にもなったのか

それは、明治初期の廃仏毀釈はいぶつきしゃくの際、
住吉大社の神宮寺も廃止されたことで
長く続いていた住吉さんの御渡りが途絶えてしまったことに
起因するようです

宿院頓宮は堺大空襲の戦火で全てが燃えてしまい
資料なども一切残っていないので
正確なことはわかりませんが

堺に住んでいたお年寄りの言い伝えによると
「御渡りが来なくなったことを寂しく思った堺の人たちが
 大鳥大社にお願いして御渡りをしてもらうようになった」
とのこと

明治12年には住吉大社の御渡りも復活したそうですが
戦争が始まると御渡りどころではなくなります

戦後、お社が再建されると御渡りは再び復活しましたが
そこから10年ほどすると、今度は担ぎ手が減ったために
神輿をトラックで運ぶようになり、御渡りは衰退してしまいます

確かに
子どもの頃住吉大社の夏祭りはよく行ったし
夏越祓神事で夏越女したことだってあるけど
お神輿担いで大和川渡って宿院に行くなんて行事
聞いたことなかった気がする・・・

昔の活気を取り戻そうと、再びお神輿を担ぐようになったのは
平成18年のこと
実に、45年ぶりのことだったそうです

・・・いやでも
こうして調べるまで・・・
令和の時代まで、わたし知らなかった・・・(汗)
いや、なんかどっかで、
お神輿担いで川渡ってるポスター見たことはあった気がするけど
御渡りという名前は今初めて知った

というくらい
まだ知名度がいまひとつのようです
(わたしだけが無知なんじゃないんですよこれは 笑)

今年の夏には、実際に見に行ってみて
レポートしたいと思います!!

しかしその前に、もう少し宿院頓宮について
調べておきたいのですが
長くなったので続きます~~◎

2022.1.20 姫松なつき

〈参考文献〉
●Wikipedia(宿院頓宮)

●宿院頓宮ホームページ
 (https://shukuin-tongu.com/
●堺・南大阪の地域情報 つーる・ど・堺
 雑記帳「二柱の神が渡る宿院頓宮の謎(2)」
http://toursakai.jp/zakki/2017/07/31_2478.html

●関西大学 なにわ大阪研究センター
 「住吉・堺の歴史的景観」
https://www.kansai-u.ac.jp/naniwa-osaka/publication/pdf/2016sumiyoshi_sakai.pdf

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